上野千網谷戸遺跡出土品

ページ番号1001983  更新日 令和5年7月24日

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出土した耳飾の写真
大型漏斗状透彫付土製耳飾(おおがたろうとじょうすかしぼりつきどせいみみかざり)

指定文化財について

名称
上野千網谷戸遺跡出土品(こうずけちあみがいといせきしゅつどひん)
区分
国指定 重要文化財(美術工芸品)
指定年月日
昭和59年6月6日
指定物件
員数
第1号住居跡出土品:2,286点 他附一括
第4号住居跡出土品:1,011点 他附一括
計3,297点 他附一括
出土箇所

群馬県桐生市川内町3丁目 千網谷戸遺跡地内

年代

縄文時代晩期(現在から2,000年~3,000年前)

その他
重要文化財は現在、群馬県立歴史博物館に寄託中のため桐生市での展示はありません。

千網谷戸遺跡について

千網谷戸遺跡は、桐生市の西北部、川内町3丁目地内(大字須永字千網谷戸)に所在する。渡良瀬川と山田川の合流点にあたる河岸段丘上で標高は140メートルほどの低地である。かつての遺跡地は桑畑であったが、現在ではその大半が宅地化されている。
本遺跡は戦前から知られており、昭和21年(1946年)から昭和49年(1974年)までは薗田芳雄を中心として断続的に発掘調査が実施された。その結果、関東地方における縄文時代終末期を指標する「千網式土器」が提唱され、縄文時代晩期の標識遺跡として広く知られるようになった。
桐生市教育委員会が千網谷戸遺跡の発掘調査を行ったのは昭和48年が最初で、その後、今日まで開発行為に先行する大小規模の発掘調査が随時行われている。これらの発掘調査によって縄文時代後・晩期の竪穴式住居跡をはじめ祭祀にかかわると考えられる配石遺構や石棺墓群などが発見され、それらとともに多量の土器、石器のほか数多くの装身具類をはじめ土偶、岩版・土版などの特殊な遺物が出土している。
なかでも、縄文時代晩期の1号住居跡と4号住居跡からの出土遺物は質量とも豊富なまとまりがみられ、関東地方における当時の生活様相を復元する上で重要な内容をもっており、縄文時代晩期の住居跡の全貌とともに発見されたこれらの遺物の出土例は少なく、その学術的価値は極めて高いと評価され貴重な一括資料として重要文化財に指定された。
とくに「大型漏斗状透彫付土製耳飾」は出土例が少なく、技巧的にもすぐれた華麗な作品で、縄文時代の工芸技術の一端を示すものとして注目されている。耳飾に代表される装身具類の豊富さや、膨大な石鏃の出土量などは他に例を見ないものであり、さらに、獣骨類とともに発見された骨角器は山間部の平地遺跡からの出土品としてはきわめて異例である。
なお、これらの指定物件は昭和61年から昭和63年にかけて保存修理が実施され、現在、群馬県立歴史博物館に保存されている。

髪飾りと耳飾り、首飾りを身につけた画像、遺物の出土状況

第1号住居跡

千網谷戸遺跡 第1号住居跡の発掘調査写真と図面

第1号住居跡は昭和53年の発掘調査で炉跡が発見され、その後昭和57年に追調査を実施。
ほぼ同位置に石囲炉が据えられた3軒が重複する稀な発見例で、小型で深い住居が最古で新しいものほど浅く広い。それぞれ方形で一辺6.5メートルから4.7メートル、深さは50センチメートルから90センチメートルほどの規模であった。
出土品は土製耳飾114個、玉類124個、骨角類76個、石鏃類1,665本。総点数2,286点。

写真:第1号住居跡から出土した土製耳飾と土器

1号住居跡大型耳飾

第4号住居跡

千網谷戸遺跡 第4号住居跡の発掘調査写真と図面

第4号住居跡は一辺5.3メートル、深さは1メートルほどの方形で、中央に石囲炉があった。
出土品は土製耳飾59個、玉類33個、石鏃類694本、総点数1,011点。第1号住居跡と同様附として土器類、石器剥片、粘土塊等が一括指定されている。

写真:第4号住居跡 出土品 耳飾りと土器

写真:第4号住居跡から出土した大型土製耳飾

写真:千網式土器と出土品 石・獣の骨製の装飾品、鏃など

  • 千網式土器(ちあみしきどき)
    関東地方の縄文時代晩期を指標する土器形式として「千網式土器」が設定されている。
  • 骨角器(こっかくき)
    動物の骨、角、牙、殻などを材料として作られた道具や装身具。
  • 石製垂飾具(せきせいすいしょくぐ)
    ヒスイや碧玉、蛇紋岩、滑石などの色石を勾玉や臼玉に加工し、いくつかをつなぎ合わせたりして首飾りや腕飾りほかの装飾品とした。
  • 石鏃(せきぞく)
    弓矢の先端に装着した狩猟用のもの。本遺跡では孔を開けるための石錐(いしきり)も出土している。
  • 岩版(がんばん)
    幾何学文様などが描かれている柔らかい石製の板。
  • 岩偶(がんぐう)
    人形をした石製品。岩版とともに護符的な要素を持つと考えられる。写真のものは残欠の一部

写真:石斧や石皿、石剣 出土品

  • 打製石斧(だせいせきふ)
    打ち欠いて作られた石斧。柄を付けて樹木の伐採の他、主に土を掘るために用いられたと考えられる。
  • 有溝石斧(ゆうこうせきふ)
    両頭の磨製石斧で中程に柄を付けるための溝が掘られている。
  • 石剣(せっけん)
    呪術的な要素を持つ、剣形に加工された石器。
  • 磨製石斧(ませいせきふ)
    仕上げの際に砥石などで磨いて作られた石斧。打製石斧よりも切れ味が優れ、樹木の伐採や木工等に使用された。
  • 石皿(いしざら)磨石(すりいし)
    組み合わせで使用されることが多く、現在の石臼のように物をすりつぶすのに用いられた。

写真:石錘、土版

  • 石錘(せきすい)
    渡良瀬川左岸に接する千網谷戸遺跡の人たちは、釣りや網による漁を行い魚貝類を食料とするほか、生活用品の材料としていた。
    石錘は網のおもりであったと考えられる。十文字や縦長の溝、切れ込みを入れたものなど様々で大きさや重さも一定でない。また、少数ではあるが土製のおもりもあった。魚漁の他にも縄や籠類を編むためにも使われたと考えられる。
  • 土版(どばん)
    土版は呪術的な用途で使用されたと考えられる板状の土製品である。目鼻、口など、身体の特徴などを抽象的に表すほか、幾何学的な模様を表すものもある。

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