天満宮社殿(国重要文化財指定に伴い解除)

ページ番号1001976  更新日 令和5年9月25日

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写真:天満宮社殿の外観

指定年月日
平成2年9月25日
区分
国重要文化財指定に伴い県重要文化財指定解除。
所在地
桐生市天神町1-218-1
所有者
宗教法人 天満宮
建築構造

権現造:本殿 間口 3.65メートル 奥行4.71メートル

幣殿:間口 3.65メートル 奥行7.04メートル
拝殿:間口 11.15メートル 奥行5.75メートル

建築年代

本殿・幣殿:寛政元年上棟(1789年)

拝殿:享和2年(1802年)

附指定
本社幣殿拝殿妻之図
写真:壁に鮮やかに着色された彫刻が施されている
本殿・幣殿側面
写真:紙に天満宮社殿の完成予想図が書き起こされている
本社幣殿拝殿妻之図
社殿の側面図。白木造となっている拝殿にまで極彩色の彫刻が見られる。計画図(完成予想図)と考えられる。

天満宮は桐生新町の宿頭として、天正19年(1591年)に久方村梅原から「赤城の森」と呼ばれる現在地へ遷座したといわれ、桐生領54ケ村の総鎮守格であった。
棟札によれば、現在の本殿・幣殿は安永7年(1778年)に起工して、寛政元年(1789年)に上棟、寛政5年(1793年)に遷宮開帳しており起工から完成まで15年も要している。
拝殿は享和2年(1802年)に棟札があげられており、本殿・幣殿と同時に竣工したものではない。その結果、本殿・幣殿は極彩色の彫刻が施されているものの、拝殿は簡素な造りとなっていて、両者は対照的な様相となっている。
また、棟札により、天保12年(1841年)に拝殿の屋根瓦の差替え、本殿・幣殿については銅板に葺き替えたとある。
天満宮の社殿は、県内の江戸時代の神社建築に多く見られる本殿が幣殿・拝殿につながった権現造の形式である。
本殿・幣殿は外壁の前面に極彩色の精巧・華麗な彫刻が施されており、内部は同様な彫刻とともに壁画も描かれていて、北関東の近世神社建築の特徴をよく示した優れた建築である。とくに、内部の彩色は当初の姿をよく伝えている。
また、棟札が四枚出ており、社殿の造営と修理の経過を物語る重要な資料である。それには、本殿・幣殿の大棟梁は町田主膳、彫刻は関口文治郎他8人、絵師は狩野益広他5人の名が記され、拝殿の棟梁は町田兵部となっている。「本社幣殿拝殿妻之図」には棟梁町田主膳・町田兵部、画工狩野益広と記されている。

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