西方寺木彫阿弥陀如来像

ページ番号1001973  更新日 令和4年9月9日

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写真:西方寺正面
木彫阿弥陀如来像を祀る西方寺本堂
写真:西方寺と阿弥陀如来像
(写真左上)桐生氏累代の墓から望む西方寺
(写真左下)西方寺本堂内
(写真右)阿弥陀如来像

群馬県指定重要文化財

西方寺木彫阿弥陀如来像(さいほうじもくちょうあみだにょらいぞう)

指定年月日
昭和33年3月22日
区分
群馬県指定重要文化財
所在地
桐生市梅田町一丁目266
詳細
木彫寄木造座像
像高59センチメートル
製作年代
鎌倉時代
写真:木彫阿弥陀如来像の胎内墨書
木彫阿弥陀如来像の胎内墨書と書下し

桐生国綱(後桐生氏)は、正平5年・観応元年(1350年)に桧杓山城を築き、領主の居住地を山麓の居館につくり、梅原館を下屋敷とした。併せて古くから阿弥陀堂のあった梅田の里に浄土宗西方寺を建立したとされている。西方寺は3代豊綱の代に臨済宗に改めたが、10代親綱までの菩提所であった。

西方寺木彫阿弥陀如来像は、右手掌を前方に向け、第一指と第二指で輪を造り、膝の上の左手も掌を上に向け右手と同じ形をとる上品下生の来迎印を結び、両足を組み合わせ、両腿の上に乗せる結跏趺坐の形をとる。
前後に分割した像身を継ぎ合せ、膝に軽く乗せた左手首先は、ほぞつきの差し込みである。 顔と肉身は金泥、納衣は彩色の上に截金で網目、稲妻、草花文様を施してある。頭部の螺髪は彫り出しで、額の線は波状で変化に富む。眼は、玉眼の嵌めこみで白毫とともに水晶が用いられている。本像の特色は仏相の一つである指間の水搔き様の漫網相が良く表れていることである。顔立ちは鼻筋の美しい端正なもので鎌倉の大仏を思わせ、衣服の線も写実的であり鎌倉末期に近い様式が伺える。
胎内には佐野大炊助助綱が永正18年(1521年)に彩色を施したという墨書銘がある。

西方寺は宝永(1704~1710年)頃に一度、文政6年(1823年)に一度の火災の記録があり、全山焼失の被害に見舞われている。右手の第二指から第五指が欠損していることや左手の第三指から第五指が欠損していることについては不明であるが、台座や光背の消失も含め、長い年月と災厄を乗り越えた本像の歴史が推察される。

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