書上 文左衛門(かきあげ ぶんざえもん)(11代)【キッズページ】

ページ番号1012580  更新日 平成31年3月25日

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写真:書上文左衛門

元治(げんじ)元年(1864年)~大正(たいしょう)3年(1914年)

武蔵国埼玉郡上羽生村(むさしのくにさいたまぐんかみはにゅうむら)、今の羽生市に生まれました。
27才の時に、桐生(きりゅう)でもっとも古い買次商(かいつぎしょう)の書上家のむこ養子(ようし)となって、2年後に書上商店(しょうてん)11代文左衛門を名のりました。

文左衛門は、桐生のほか、足利(あしかが)や伊勢崎(いせさき)、館林(たてばやし)、佐野(さの)などに支店(してん)をつくり、全国各地(ぜんこくかくち)に取引先(とりひきさき)を広げました。
明治30年(1897年)には、海外と織物(ゆしゅつおりもの)の取引をするため、横浜(よこはま)に書上輸出店(ゆしゅつてん)をおき、清国(しんこく/今の中国)への輸出をはじまました。
明治40年(1907)には、上海(しゃんはい)に貿易会社(ぼうえきがいしゃ)をつくるなど、桐生足利地方でもっとも大きい買次商になりました。

また、「書上タイムス」という月刊雑誌(げっかんざっし)をつくって、織物についての情報発信(じょうほうはっしん)につとめました。
また、桐生物産同業組合(きりゅうぶっさんどうぎょうくみあい)の組長、四十銀行(しじゅうぎんこう)や渡良瀬水力電気株式会社(わたらせすいりょくでんきかぶしきがいしゃ)、両毛整織株式会社(りょうもうせいしょくかぶしきがいしゃ)などの重役(じゅうやく)もかねて地域産業(ちいきさんぎょう)の発(はっ)てんに力をつくしました。

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