彦部 駒雄(ひこべ こまお)【キッズページ】

ページ番号1012581  更新日 平成31年3月25日

印刷大きな文字で印刷

写真:彦部駒雄

明治(めいじ)11年(1878年)~昭和(しょうわ)10年(1935年)

山田郡広沢村(やまだぐんひろさわむら)今の広沢町に生まれました。
もともとは織物業(おりものぎょう)を営(いとな)む家でしたが、はい業(ぎょう)後、大間々(おおまま)の質店(しちてん)に一家ですみこみ、駒雄は店を手つだいながら勉学(べんがく)にはげみました。

24才で結(けっ)こんした後、織物業を再開(さいかい)し、前橋(まえばし)でひらかれた共進会(きょうしんかい)に出品(しゅっぴん)した織物が四等賞褒状(よんとうしょうほうじょう)をうけたました。
人絹(じんけん)とまぜて織った文化帯地(ぶんかおびじ)を織り出すなど、時代(じだい)を先取(さきど)りした取り組みをしていました。
大正15年(1926年)には、関東大震災(かんとうだいしんさい)などの激動(げきどう)のなか、桐生織物同業組合(きりゅうおりものどうぎょうくみあい)の組長になり、約10年間組長をつとめ、桐生織物業の基ばん強化(きばんきょうか)をはかりました。
自らアジア諸国(しょこく)を見て回り、海外ちゅう在員(ざいいん)を派(は)けんするなどアジア向け輸出織物の拡大(かくだい)にこうけんしました。
国内では、東京(とうきょう)や大阪(おおさか)を中心に、全国(ぜんこく)に向け積極的(せっきょくてき)に宣伝活動をし、内地向(む)け織物生産(せいさん)の増加(ぞうか)にもこうけんしました。

また、桐生工業学校(きりゅうこうぎょうがっこう)の設立(せつりつ)に力をつくし、桐生織物史(し)のへんさん、桐生織物会館(かいかん)の建築(けんちく)など、さまざまな業績(ぎょうせき)をのこし、織物のしん興(こう)に力をつくしました。

ご意見をお聞かせください

質問:このページの内容は役に立ちましたか?
質問:このページの内容はわかりやすかったですか?
質問:このページは見つけやすかったですか?

このページに関するお問い合わせ

教育委員会教育部 図書館
〒376-0022 群馬県桐生市稲荷町1番地の4
電話:0277-47-4341 ファクシミリ:0277-40-1070
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。