梅田浄水場の事業計画の背景
桐生市水道事業の歴史
桐生市水道事業の歴史は古く、昭和5年2月に水道事業創設認可を取得し、同年9月より水道布設工事に着手、昭和7年4月に市内の4,072戸へ給水を開始しました。
その後、7次にわたる拡張事業を経て、平成17年6月には新里村、黒保根村の合併に伴い新里水道事業を統合し、平成28年4月には、梅田馬立、黒保根の簡易水道事業を統合して現在に至っています。
拡張事業の変遷
昭和7年の水道創設以降、人口増加に伴う給水量の増大や市街地の拡大などに対応するため、昭和19年の第1次拡張事業に始まり、上菱浄水場の建設、元宿浄水場の増強や配水池の増設、給水区域の拡大等、各次における拡張事業を実施してきました。第6次拡張事業完成後の昭和40年代後半には、高度経済成長期を迎え、人口増加とともに、生活水準の向上に伴い、給水量も飛躍的に増大し、旧桐生市においては浄水場の施設能力を超える給水量が記録されました。そのような状況の中、今後ますますの水不足が見込まれたため、昭和49年3月に第7次拡張事業の認可を受け、事業に着手しました。この拡張事業は、将来の水需要を見据えた大事業であったことから前期事業と後期事業とに分けられ、前期事業では元宿浄水場の増強が図られ、昭和58年3月に完了しました。
拡張事業 |
認可 |
竣工 |
主な事業内容 |
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創設 |
昭和5年2月 | 昭和7年4月 | 元宿浄水場建設 水道山配水池建設 |
第1次拡張事業 |
昭和19年4月 |
昭和20年12月 | 天神浄水場建設 |
第2次拡張事業 |
昭和25年10月 |
昭和26年10月 |
元宿浄水場増設 |
第3次拡張事業 | 昭和32年2月 |
昭和37年3月 |
広沢水源地建設 |
第4次拡張事業 | 昭和38年12月 | 昭和43年3月 | 広沢水源地増設 元宿増設 |
第5次拡張事業 | 昭和41年12月 | 昭和47年3月 | 上菱浄水場建設 |
第6次拡張事業 | 昭和46年4月 | 昭和49年6月 | 元宿浄水場増設 青葉台配水場建設 梅田加圧所建設 |
第7次拡張事業 | 昭和49年3月 | 昭和56年3月 |
前期事業 元宿増設 後期事業 梅田浄水場(仮名)建設計画 |
昭和57年 新浄水場建設用地取得 昭和58年 桐生川ダム完成 |
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第7次拡張事業(第1回変更) | 平成16年10月 |
─ |
給水区域拡張 |
第7次拡張事業(第2回変更) | 平成17年6月 | ─ | 新里水道事業の譲り受け |
第7次拡張事業(第3回変更) | 平成28年3月 | ─ | 給水区域拡張(黒保根及び馬立簡易水道の統合) |
第7次拡張事業の後期事業では、群馬県が建設する桐生川ダム(昭和49年着工)から新たに水利権(毎秒0.4立方メートル)を取得し、施設能力日量34,500立方メートルの梅田浄水場(仮名)を建設しようとするものでした。桐生川ダムは、10年余りにわたる工事の末、昭和58年3月に完成しましたが、昭和48年の石油ショックを契機に経済が低迷し、その後の給水人口や水需要の伸びも計画値を下回ったことから、後期事業における新浄水場建設は着手されませんでした。
施設の老朽化
第7次拡張事業以降の水道事業は、建設と拡張の時代から施設の維持管理の時代へと推移してきました。旧桐生市内には、元宿浄水場と上菱浄水場の2つの浄水場があり、元宿浄水場には、昭和7年の水道創設時に造られた1系施設(日量27,600立方メートル)と第7次拡張事業の前期事業として昭和53年に完成した2系施設(日量44,900立方メートル)があります。1系の浄水施設は、これまで大規模な改良工事や補修工事を行ってきましたが、老朽施設であることにはかわりなく、その維持管理には多額の費用が生じており、廃止も含め、その存続が課題となっています。
また、昭和45年に完成した上菱浄水場(日量15,300立方メートル)についても、45年余りが経過し、老朽化した管理棟などは建物の構造上、耐震化が困難なことに加え、近年頻発する局地的集中豪雨などにより発生する高濁度の河川水を処理する能力が限界に達し、長期化する場合には、給水停止も想定され、施設の更新が喫緊の課題となっています。
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