桐生織物の歴史

ページ番号1012412  更新日 令和3年1月27日

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桐生織物の歴史

桐生の織物の起こりは、今から1300年ほど前の奈良時代まで遡ります。有史上の初出は続日本紀で、和銅6年(713年)に上野の税(調)は以後絁と定め、翌和銅7年にこれを納めたとあります。この地には昔から織物産業が盛んであった事がわかります。

元弘3年(1333年)、新田義貞が生品神社で鎌倉倒幕のため挙兵したときのこと。このとき、桐生で織った絹を使って幟にしたとされています。この幟は中黒古旗と呼ばれ、平成25年に復元され新田神社に奉納されました。

また、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは、徳川家康の要請により、旗絹をわずか1日で2410疋も織り出し、東軍の勝利に貢献したという話が残されています。徳川家の祖先といわれる新田義貞の旗揚げの由来で、縁起のよい桐生製の織物が使われたのでした。

昭和期には、ノコギリ屋根の織物工場が数多く建てられ、今もその姿を市内で見ることができます。

現在も、桐生は企画から製品化までのデザイン、撚糸、染め、織、編み、刺繍、縫製など、多くの工程の技術が集積した繊維産地となっています。

白瀧姫

白瀧姫伝説

桐生産地で作られた織物は、仁田山絹と呼ばれました。その仁田山絹にまつわる機神伝説(白瀧姫伝説)が残っています。
現在の桐生市川内町のことを、上野国山田郡仁田山郷と呼んでいた頃のことです。
宮仕えに出されていた山田郡の男が、官女の白瀧姫に懸想していました。募る思いを託して贈った和歌は姫の心を動かし、彼は故郷の仁田山郷へ姫を連れ帰りました。それから白瀧姫は里人に養蚕、機織を伝えたとされています。

 

桐生織物の年表

西暦

和暦

桐生織物の動き

その他の動き

714年 和銅7年 続日本記によれば上毛野(現在の群馬県)は他の諸国と共に「あしぎぬ」を朝廷に献上  
752年 天平勝宝4年 新田郡淡甘郷(タコウノゴウ)より黄あしぎぬ一疋を朝廷に調貢 東大寺開眼供養
1333年 元弘3年 新田義貞の軍旗に仁田山絹を使用  
1575年 天正3年 13代将軍足利義輝の侍女から仁田山紬・生絹等の注文書が出される  
1591年 天正19年   秀吉が全国統一
1600年 慶長5年 関ヶ原合戦の折、桐生領54ケ村より徳川方に旗絹2,410疋を献上  
1605年 慶長10年 天満宮内に絹市が開かれる 桐生新町の創設
1646年 正保3年 桐生絹市始まる。旗絹の上納(税金)が金納になる  
1738年 元文3年 西陣の織物師中村弥兵衛・井筒屋吉兵衛が空引き装置を備え付けた高機の技術を伝える  
1722年 享保7年   越後屋(現・三越)桐生店開業
1743年 寛保3年 中村弥兵衛、西陣の佐兵衛より縮緬(チリメン)を教授され製造  
1783年 天明3年 岩瀬吉兵衛が水車動力の八丁撚糸機を考案する 浅間山噴火
1785年 天明5年   カートライトが力織機を発明
1801年 享和元年   ジャガールがジャカード機発明
1838年 天保9年 金子善衛門、縞縮緬を造り将軍家斉に献上する。これから「お召」の名が生まれる  
1851年 嘉永4年 お召縮緬仲間成立。 お召の生産12,000反(1か月)を数える  
1853年 嘉永6年   ペリー来航
1859年 安政6年   横濱開港
1865年 慶応元年 江原貞蔵、横浜に絹物店を開き、輸出の基礎をつくる  
1868年 慶応4年   江戸、東京に改称、廃藩置県
1872年 明治5年   富岡製糸場開業
1875年 明治8年 この頃、桐生では絹綿交織物が最も多く生産される  
1877年 明治10年

第1回内国勧業博覧会開催

森山芳平らが京都の荒木式ジャカードを購入

 
1879年 明治12年

桑原佐吉、小野里商店の依頼で輸出向け羽二重を創製

森山芳平、後藤定吉、化学染色法を学び舎蜜染(セイミゾメ)として宣伝販売する

エジソン白熱灯発明
1886年 明治19年 佐羽喜六が外国製ジャカード・ピアノマシンを輸入する  
1887年 明治20年 日本織物株式会社設立  
1888年 明治21年

藤生佐吉郎・高力直寛が木製紋彫機を製作する

両毛鉄道小山ー桐生間が開通

 
1894年 明治27年 桐生電灯会社設立 桐生町内に電灯が点灯する 日清戦争
1898年 明治31年

横山嘉兵衛、毛織物の東コートを製造

桐生織物同業組合設立

 
1911年 明治44年 村田兵作が村田式半木製力織機を完成  
1916年 大正5年 飯塚春太郎オーストラリア向けスパンクレープを製織する  
1918年 大正7年 人絹(人造絹糸)使用の「文化帯」を創作  
1923年 大正12年   関東大震災
1924年 大正13年   豊田佐吉力織機製造
1929年 昭和4年 石北政男、絹人絹交織お召しを製織  
1934年 昭和9年   天皇陛下産業視察で桐生織物視察
1943年 昭和18年   太平洋戦争で織機14,000台以上供出
1948年 昭和23年

織機復元計画により桐生は3,000台余の織機を復元

アフリカ向けレーヨンマフラー戦後初の輸出はじまる

以降、民族衣装用ダマスク紋繻子、房付紋マフラー、金糸紋裏切り、ジョーゼット等の輸出が盛んになる

 
1955年 昭和30年 この頃より婦人服地の生産始まる  
1956年 昭和31年 ダマスク紋繻子が桐生産地の単品品種として生産量最高を記録  
1959年 昭和34年 富士絹が桐生産地の単品品種として生産量最高(550万m)を記録  
1962年 昭和37年

全国織物協技大会において業界初の三部門で団体優勝する

第1回海外見本市及び市場調査を米国、カナダで開催

 
1969年 昭和44年 群馬輸出絹人繊織物構造改善工業組合を創立、中小企業近代化促進法に基づく構造改善を実施  
1973年 昭和48年 ウィーン万博に出品する  
1975年 昭和50年   レピア織機が広幅織物の主流となる
1977年 昭和52年 通商産業大臣から「伝統的工芸品桐生織」の指定を受ける  
1984年 昭和59年   ダイレクトジャカード発表される

1985年

昭和60年 ダイレクトジャカード(コンピューター制御)設置始まる  
1987年 昭和62年 業界一本化による新生 桐生織物協同組合設立  
1994年 平成6年 群馬県ふるさと伝統工芸品に「桐生織」が指定される  
1997年 平成9年 桐生織物会館旧館(現・桐生織物記念館)が、国の登録有形文化財に指定される  
2002年 平成14年 織物工場の「のこぎり屋根」シンポジウムを開催  
2008年 平成20年 「桐生織」が地域団体商標に登録される  
2014年 平成26年 続日本記への記載の年から1300年  

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