黒保根村の記録

ページ番号1000532  更新日 平成28年1月31日

印刷大きな文字で印刷

平成17年6月13日、勢多郡黒保根村は、同郡新里村とともに桐生市に編入合併しました。合併前の村の記録として、黒保根村の概要を掲載します。

概要 

黒保根村は、群馬県東部、赤城山東麓山間傾斜地に広がり、村の南部には渡良瀬川が流れる風光明媚な山村です。
明治22年(1889年)の町村制施行により、上神梅村・下神梅村・宿廻村・水沼村・八木原村・塩沢村・上田沢村・下田沢村の8か村が合併し、黒保根村が誕生しました。その後、昭和33年に上神梅、下神梅、塩沢の3大字が大間々へ分村し、区域の変更が行われました。西にそびえる赤城山の緩い傾斜地帯に南北12キロメートル、東西11キロメートルに村が広がり、面積は101.50平方キロメートル、人口は2,753人です。

村名の由来は、万葉集の和歌
「賀美都家野 久路保乃禰呂乃 久受葉我多 可奈師家兒良爾 伊夜射可里久母」
(かみつけぬ くろほのねろの くずはがた かなしけこらに いやさかりくも)
にちなんでいます。

古くは平安時代に奥州から京に上る道沿いとして、また江戸時代になると、足尾銅山から銅を搬出する街道沿いとして賑わいました。今では国道122号と旧国鉄足尾線のわたらせ渓谷鐵道が渡良瀬川に沿って走っています。また、主要地方道沼田大間々線が村の中心を南北に走って利根村と結び、県道梨木香林線が梨木温泉を通って新里村と結んでいます。

国有林を含め、村の約89%にあたる森林は、その61%が人工林になっています。農業ではかつて主産業であった養蚕が減少し、畜産や耕種型農業が営まれています。

現在は自然環境の保全を考え平成8年に全国に先駆けて「水源村」を宣言し、自然との調和に配慮した村づくりを進めています。 

成立

明治22年4月1日町村制施行

村役場

  • 住所:群馬県勢多郡黒保根村大字水沼182番地3
  • 位置:北緯36度29分54秒
  • 東経:139度17分14秒
  • 標高:270メートル
  • 電話:0277-96-2111

面積

101.50平方キロメートル
(平成12年国土調査)

土地利用

地目別土地利用

  • 農地:3.86平方キロメートル(3.80%)
  • 宅地:1.05平方キロメートル(1.00%)
  • その他:96.59平方キロメートル(95.20%)
    (平成12年度固定資産概要調書)

人口

(国勢調査人口)

村長

深澤 亮一(ふかさわ りょういち)
(平成17年6月12日現在)

助役

なし
(平成17年6月12日現在)

収入役

星野 勝美(ほしの かつみ)
(平成17年6月12日現在)

教育長

小林 庸七(こばやし ようしち)
(平成17年6月12日現在)

村議会議員(12人)

議長
長谷川 守男(はせがわ もりお)

副議長
神山 政敏(かみやま まさとし)

議員
関口 宏(せきぐち ひろし)
大山 智(おおやま さとる)
尾池 實(おいけ みのる)
町田 猛(まちだ たけし)
松島 公一(まつしま こういち)
金子 敬(かねこ けい)
町田 悦子(まちだ えつこ)
星野 一夫(ほしの かずお)
松島 米(まつしま たから)
山口 吉郎(やまぐち よしろう)
(平成17年6月12日現在)

平成12年度普通会計決算状況

 

歳入
性質別 金額(千円)
地方税 258,639
地方交付税 1,190,869
地方債 438,600
国庫支出金 80,075
県支出金 308,709
その他 598,511
2,875,403
歳出

性質別

金額(千円)
人件費 492,210
扶助費 53,823
公債費 235,204
物件費 265,658
普通建設事業費 1,106,833
その他 401,891
2,555,619

役場の組織機構

図:組織図
(平成17年6月12日現在)

村章

黒保根村村章
黒保根村の三山をかたどり、中央の山を黒檜山、左右に栗生山と荒神山を配したもので、三山の組合せは村の「和」をあらわしています。
両脇の山の「赤」は情熱を意味し、中央の黒は威厳・気品を示すとともに、黒保根村の「黒」に通ずるものです。

村民憲章

黒保根村村民憲章(平成元年4月1日制定)

わたくしたちは、秀嶺赤城山と渓谷美しい渡良瀬川に育まれた、黒保根村の村民です。
郷土の発展と、人々の幸せを願い活力ある村づくりをめざして憲章を定めます。

  • おもいやりの心をもとう。
  • 仕事に誇りをもとう。
  • 健康な体をつくろう。
  • 恵まれた自然を守ろう。

村の花

写真1
サクラ
写真2
ツツジ
写真3
アジサイ

村の木

写真4
黒檜
写真5
夏椿

宣言 

水源村宣言

キャッチフレーズ

花と緑と清流の里

ホームページ

小学校

黒保根村立黒保根小学校(黒保根村大字水沼400番地)

中学校

黒保根村立黒保根中学校(黒保根村大字水沼342番地7)

祭り・観光スポット

  • サクラ街道(4月)
  • 奥山のヤシオツツジ(5月上旬)
  • ツツジ街道(清水、5月~6月)
  • くろほね夏まつり(8月15日・16日)
  • ささら舞(獅子舞)(上田沢・湧丸、10月)
  • 獅子舞(下田沢・前田原、10月)
  • 古路瀬渓谷
  • 亀石(上田沢)
  • 黒檜山(赤城山最高峰)
  • 梨木温泉

文化財

  • 群馬県指定重要文化財
    虚空蔵菩薩像(医光寺)
    虚空蔵菩薩経
    常鑑寺の梵鐘
    栗生神社本殿
  • 群馬県指定天然記念物
    栗生神社の大杉
  • 黒保根村指定重要文化財
    北条氏直の感状
    板碑

注:その他、栗生神社、深沢城址など未指定の文化財や史跡など多数あり

施設

  • 歴史民俗資料館
  • 山村開発センター
  • 老人休養センター
  • 交流促進センター
  • 保健センター
  • 利平茶屋森林公園
  • 花見が原キャンプ場
  • 水沼運動公園
  • 水沼診療所
  • 水沼歯科診療所
  • 道の駅「くろほね・やまびこ」
  • 水沼駅温泉センター
  • 水沼村第二番小学校
  • 特別養護老人ホーム「しみずの里」

名誉村民

星野 長太郎(ほしの ちょうたろう) 水沼製糸所の創設者

弘化2年(1845)2月3日、水沼村に生まれる。家は代々地方役人を勤める豪農であった。「国益増進は製糸改良にある」という時論を貫き、前橋藩営の大渡洋式器械製糸場で伝習を受けると、明治7年に水沼製糸所を創業した。民間はじめての器械製糸であった。
明治9年には国策により米国への直輸出を断行する。実弟新井領一郎を米国に派遣し、目的とする日本生糸の不評を払拭し信用回復を果たした。また、全国から受け入れた伝習女工の養成に尽力した。
明治12年に県会か開設されると議員に当選、副議長となる。明治37年には衆議院議員となり国政に参画した。また、明治6年には群馬県第二番学校といわれる水沼学校設置を実現させた。
郷土と、それを超えた国家レベルの養蚕産業の振興に尽くした功績は偉大である。
明治41年11月27日病没。享年64歳。

新井 領一郎(あらい りょういちろう) 日本生糸の救世主

安政2年(1855)7月19日、水沼村に生まれ、後に下田沢村鹿角の新井系作家の養子となる。
上京して英学校に学び、また慶応義塾、開成高校で英語の習得に励む。高崎藩営の英学校では、尾崎行雄、内村鑑三を学友とした。領一郎の高度の英語習熟は人生を決定する素因にもなった。
明治9年、実兄星野長太郎の生糸直輸出の断行にあたり渡米し、日本生糸の不評を拭い、誠実な商法で信用を回復させた。その偉大な力量と人徳は日本の政財界の注目するところとなり、牛場卓蔵、松方正義などど華やかな家系を生む要因となった。ハル・ライシャワーは孫娘にあたる。昭和14年4月10日、享年85歳で米国で没するが、葬儀の日、アメリカ全土の生糸取引所は黙祷を捧げたという。

新井 毫(あらい ごう) 国会開設運動に尽くした政治家

安政5年(1858)11月10日下田沢村鹿角に生まれる。少年時、横浜に出て英語を学び、さらに三大義塾の慶応義塾や共慣義塾で勉学を積んだ。
ときの政府は藩閥の色濃く、封建政治を批判して自由民権を唱えた板垣退助に共鳴し、国会開設運動に奔走した。大間々に政治結社尽節社を設立し、全県的有志とともに活動を展開した。請願書を持ち大書記官山岡鉄舟の私邸にまで赴いたことは有名である。
明治23年、国会が開設されると衆議院議員に当選。3回、4回と議席を置き西郷従道らと国家主義思想を掲げて国会活動を展開した。
明治35年11月25日、外国漫遊の途上、四国多度津湾の船上で消息を絶つが、その死は謎である。享年46歳。
熱血的な政治家も東京の静知社英学校、岡山の津山中学校を経営した教育者の側面があった。

星野 愷(ほしの やすし) 磁気テープの父

明治42年(1909)6月18日、黒保根村大字水沼に生まれる。東京蔵前工業大学(現東京工業大学)を卒業し、助手、助教授、教授となり母校で教鞭をとった。
母校における学術研究の中で、数々の科学的開発をなした。その特許は、日本のもの58件、米国その他外国にもほぼ同数のものがある。
その代表とされるものに「人造偏向板」と「磁気録音装置」の開発がある。前者の開発は、戦中の軍用機器に応用されたり、ウラン鉱石の品質鑑別、立体映画装置、蛍光管の誕生につながっている。後者は磁気録音読書シートの製造開発である。この開発の成功は、情報の記録・伝達に不可欠なもので、メディア産業に革命を起こした。
この偉業をたたえた科学界では、「磁気テープの父」と呼んでいる。
昭和61年7月25日没。享年77歳。

簡易統計

ご意見をお聞かせください

質問:このページの内容は役に立ちましたか?
質問:このページの内容はわかりやすかったですか?
質問:このページは見つけやすかったですか?

このページに関するお問い合わせ

地域振興整備局 黒保根支所市民生活課
〒376-0196 群馬県桐生市黒保根町水沼182番地3
電話:0277-96-2111 ファクシミリ:0277-96-2571
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。