浄運寺本堂

ページ番号1002059  更新日 令和5年1月19日

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写真:本堂の外観

桐生市指定重要文化財

浄運寺本堂(じょううんじほんどう)

指定年月日
平成11年8月10日
区分
桐生市指定重要文化財
所在地
桐生市本町六丁目398-1
構造形式

寄棟造平入り  桟瓦葺(当初茅葺) 

桁行 9間(20.53メートル)
梁間 7間(16.65メートル)
間口9間、梁間6間の身舎の四方に庇を廻す。
正面に三間唐破風付向拝、背面に突出する開山堂をもつ。

建築年代
宝暦3年(1753年)上棟 位牌段脇の置札による
変遷
  • 屋根
    当初茅葺 天保6年(1835年)と明治19年(1986年)に葺替え
  • 虹梁絵様
    宝暦年間の建立当初及び慶応年間頃(改修)
  • 開山堂
    増改築時期(慶応年間)の後補である可能性が強い。
  • 格天井絵画
    慶応2年(1866年)の銘あり
  • 欄間
    宝暦3年(1753年)及び明治13年(1880年)の刻銘あり

※本堂は慶応2年前後に最も大きな増改築が行われ、明治期に欄間ほか、屋根等の改修が行われ茅葺から桟瓦へ葺き替えられている。

図:明治34年発行 大日本宝鑑上野名跡図誌
明治34年発行 大日本宝鑑上野名跡図誌より(本堂の屋根に現在の箱棟と鬼は見られない)
図:浄運寺本堂 平面図(群馬県近世社寺総合調査報告書寺院編より)
群馬県近世社寺総合調査報告書 寺院編より

本堂は比較的大きな六室構成の方丈系本堂である。
正面一間半、両側面及び背面に一間分の広縁を回らす。正面外側一間通り及び内陣裏部分のみが板敷きで他は畳敷きとなっている。内外陣は現在開放されているが、以前は中敷居があり建具がはめ込まれていたことが内外陣境の柱の痕跡よりわかる。
改修改築時における墨書・刻銘には本町四、五、六丁目を中心とした人々の名前が記されており、寄進を通した本町住民と寺院の結びつきを知ることが出来る。浄運寺本堂は、建立から改修・改築の推移が墨書や刻銘から判明しており、更に桐生新町の形成と発展に重要な係わりをもった歴史がある。

写真:浄運寺の本堂内部、内陣と外陣
写真左:本堂内部、写真右:内陣と外陣

浄運寺と桐生新町

図:浄運寺の建物構成と配置図

田中山栄照院浄運寺は旧桐生新町の南、本町通りの北西側に位置する。立地・信仰・住民生活等、桐生新町の発展と係わりが極めて強い寺院である。
浄運寺の歴史は「桐生市指定重要文化財 安土宗論記録」で知られる僧玉念が天文年間(1532~1554年)に広沢村後谷(現在の広沢町1丁目)に庵室を持ったことに始まる。その後、渡良瀬川対岸の新宿にて永禄元年(1558年)に哀愍寺(あいみんじ)を建立した。哀愍寺を継いだ二世聞岌は、寺名を浄運寺と改め、桐生新町の町立てに際して慶長10年(1605年)、現在地に移転した。

桐生新町

図:上野国山田郡桐生新町 絵図面 永楽9年(1780)10月
上野国山田郡桐生新町 絵図面 永楽9年(1780年)

桐生新町の町立ては、久方村梅原(梅田町1丁目)より遷座した天神社を起点に、北から南へかけて直線状に本町一、二丁目と開拓し、さらに下瀞掘(新川)まで南下して本町六丁目まで町並みを延伸させた。この際に浄運寺を新宿から現在地に移転させ、桐生新町の南の要としたのである。

桐生市指定重要文化財 浄運寺本堂 

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