八木原龍禅寺の喚鐘

ページ番号1002084  更新日 令和5年6月5日

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写真:本堂の天井から吊り下げられている喚鐘
本堂内の梁に吊り下げられている喚鐘
写真:喚鐘の周囲四か所刻まれた文字。目的や製作者や・年代などが刻まれている。
喚鐘の周囲四ヶ所の池の間に刻まれた文字。目的や製作者・年代などが刻まれている。
池の間二区の銘により、喚鐘が八木原村(現在の桐生市黒保根町八木原地区)龍禅寺の所有とわかり、大阪府より返還される糸口となった。

桐生市指定重要文化財

八木原龍禅寺の喚鐘(やぎはらりゅうぜんじのかんしょう)

指定年月日
平成11年3月30日
区分
市指定重要文化財(美術工芸品)
所在地
群馬県桐生市黒保根町八木原173‐1
寸法と重量

高さ 九十センチメートル

直径 五十一センチメートル

重さ 九十三キログラム

鋳物師
久田 清兵衛(武蔵江戸神田鍋町)
鋳造年
宝永四年(1707年)
公開情報
非公開
駐車場
有り

八木原龍禅寺の喚鐘は、太平洋戦争の物資不足を補うために制定された金属類回収令により昭和18年に供出され、失われたと思われていたが、大阪府寝屋川市教育委員会の連絡により、同市内の成田山明王院に現存していることが確認された。 その後、平成6年2月27日、八木原地区の人たちの働きかけにより返還され、51年ぶりに里帰りを果たした。
喚鐘は現在龍禅寺の本堂内に安置されている。

八木原龍禅寺について

写真:八木原龍禅寺全景と改修前の茅葺き屋根の状態
八木原龍禅寺全景(正面南側)と改修前の茅葺き屋根の状態

龍禅寺は、桐生市黒保根町水沼地区と渡良瀬川左岸を結ぶ黒保根大橋を渡り、北上した八木原地区の北端に存在する。龍禅寺から北西に向かう道には渡良瀬川の崖上から右岸へ向けて五月橋が架かり、国道122号線と合流する。
無住となった本堂は集会所として使用されていたが、昭和56年に茅葺から鉄板葺への改修ほか堂宇の周辺整備も行われている。

写真:八木原龍善寺配置図と内部 左右の石燈篭

  • 喚鐘の鋳物師
    御鋳物師大工武蔵江戸神田鍋町 久田清兵衛
    神田鍋町(かんだなべちょう)は現在の千代田区神田鍛冶町三丁目
    江戸幕府の御用鋳物師、椎名山城(しいなやましろ)が屋敷を構えていたことに由来する。
    鍋町は鍋釜のほか様々な生活用品を生み出したの職人の町であり、ここで製作された梵鐘、仏像などは、東京都意外でも多数が現存する。
  • 喚鐘とは
    行事鐘(ぎょうじしょう)小鐘、半鐘とも呼ばれる。
    概ね、高さ50センチメートル〜60センチメートル、直径30センチメートル以下。 寺院の堂内や軒下につり下げられる小型の梵鐘。
    丁字型の撞木(木槌)を片手に持ち、鐘身の中ほどにある撞座を打つ。 法要や儀式の際に集まった人たちに、その開始を知らせる合図として用いられる。
    龍禅寺の鐘は喚鐘としては大型であるが、そのいわれ等については池の間に刻まれた銘の外、資料が無く不明である。

八木原龍禅寺の喚鐘

地図

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