森 宗作(もり そうさく)【キッズページ】

ページ番号1012579  更新日 平成31年3月25日

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写真:森宗作

文久(ぶんきゅう)3年(1863年)~昭和(しょうわ)7年(1932年)

下野国足利郡(しもつけのくにあしかがぐん)足利町、今の足利市に生まれました。
20才の時に桐生新町一丁目(きりゅうしんまちいっちょうめ)の森宗五郎(そうごろう)の家にむこ入りし、名を宗作とあらためました。

宗作は、宗五郎の事業(じぎょう)を土台に森合資会社をつくって、金ゆう業(ぎょう)と土地経営(けいえい)に専念(せんねん)し、桐生町における最大(さいだい)の富(ふ)ごうになりました。
また、織物金融(おりものきんゆう)が必要(ひつよう)になったことから、株式会社四十銀行(かぶしきかいしゃしじゅうぎんこう)を桐生にうつして、明治(めいじ)33年(1900年)には頭取(とうどり)になりしました。
明治35年(1902年)には、撚糸工程(ねんしこうてい)を改善(かいぜん)する模(も)はん工場として桐生撚糸合資会社(きりゅうねんごうしがいしゃ)の設立をすすめました。
また、明治40年(1907)に、輸出織物(ゆしゅつおりもの)の製造(せいぞう)と整理業(せいりぎょう)を行う両毛整織合資会社(りょうもうせいしょくごうしがいしゃ)の設立に出資(しゅっし)するなど大きな役(やく)わりをはたしました。
さらに、明治33年(1900年)、宗作らが発起人(ほっきにん)となった桐生懇話会(こんわかい)は、渡良瀬水力電気株式会社(わたらせすいりょくでんきかぶしきがいしゃ)の設立にも関わり、桐生地区に電力を供給(きょうきゅう)し、機械制(きかいせい)織物工場を広めていくきっかけをつくりました。
教育面(きょういくめん)についても、織物業の後けい者(こうけいしゃ)の育成を考え、明治29年(1896年)の町立桐生織物学校の設立、明治41年(1908年)の山田郡立桐生高等女学校(こうとうじょがっこう)の設立、大正5年(1916)の桐生高等染織(せんしょく)学校の設立にも力をつくしました。

功績(こうせき)は人にゆずり、責任(せきにん)は自ら負(お)うというけんきょな人がらで、公共心(こうきょうしん)にもとみ、桐生の近代化(きんだいか)に大きくこうけんしました。

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