桐生織物(きりゅうおりもの)の歴史(れきし)【キッズページ】

ページ番号1012594  更新日 平成31年3月25日

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桐生地域(きりゅうちいき)の織物のおこりは、今から1300年ほど前の奈良時代(ならじだい)までさかのぼります。続日本紀(しょくにほんぎ、日本のれきしの本)に、和銅7年(714年)、今の群馬県(ぐんまけん)である上野国(こうづけのくに)の絁(あしぎぬ)を朝廷(ちょうてい)におさめたと書いてあります。このことから、むかしから織物産業(おりものさんぎょう)がさかんであったことがわかります。

元弘(げんこう)3年(1333年)、新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉幕府(かまくらばくふ)をたおすために立ち上がったとき、桐生の織物をつかって幟(のぼり)にしたとされています。

また、慶長(けいちょう)5年(1600年)、関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)では、徳川家康(とくがわいえやす)からたのまれて、2410もの旗絹(はたぎぬ)をわずか1日で用意しました。

イラスト:着物のキノピー

今も、桐生は糸から商品までのデザイン、撚糸(ねんし)、染め(そめ)、織(おり)、編み(あみ)、刺繍(ししゅう)、縫製(ほうせい)など、多くのわざがあつまった、繊維(せんい)のまちです。

白瀧姫伝説(しらたきひめでんせつ)

写真:白瀧姫

桐生地域で作られた絹織物(きぬおりもの)は、仁田山絹(にたやまぎぬ)と呼(よ)ばれました。その仁田山絹にまつわる白瀧姫伝説がのこっています。

今の桐生市川内町(かわうちちょう)のことを、山田郡仁田山郷(やまだぐんにたやまごう)とよんでいたころのことです。

この地域から宮仕え(みやづかえ)に行っていた男性が、官女(かんじょ)の白瀧姫に恋(こい)をしました。そのきもちをこめた和歌(わか)は姫につたわり、かれはふるさとの仁田山郷へめでたく姫をつれ帰りました。それから白瀧姫は里の人に糸づくりや織物をつたえたとされています。

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