武井廃寺塔跡

基壇上には骨蔵器と考えられる石造物が据えられている
指定文化財について
- 名称
- 武井廃寺塔跡(たけいはいじとうあと)
- 指定年月日
- 昭和16年1月27日
- 区分
- 国指定 史跡
- 所在地
-
群馬県桐生市新里町武井598
- 構造形式
-
- 基壇
直径約18メートル、高さ約2メートル - 頂部石造物
安山岩製
自然石の上部を円錐台形に加工し中央に丸底状の穴 - 頂部形状
下位直径 123センチメートル 高さ17.5センチメートル、
上面直径 105センチメートル - 中央の穴
直径43センチメートル、深さ44センチメートル
- 基壇
- 時代
- 奈良時代
公開情報
- 公開日
- 常時見学可能
- 駐車場
- 有り
- その他
- 武井廃寺塔跡から隣接する県指定史跡中塚古墳へも徒歩で行けます。

武井廃寺塔跡は、桐生市新里町南部、武井地区の丘陵性台地、松原峯上部の南面する緩傾斜地上の標高210メートルの地点に存在する。その一段高く盛土された基壇上に安山岩を円錐台形に加工し丸底状に中央を掘削した石造物が据えられている。
大正4~5年頃、散歩中の住民の発見を契機に、地域の研究者により推薦され、大正14年に当時の内務省に認められることとなり、昭和16年に国史跡に指定された。
当初、円錐状の加工石は塔の心礎であるという見解から、古代の寺院跡として考えられていたが、傾斜地に存在することや、近くに寺院を構成する建造物の痕跡等が無いこと、建物の土台を支える礎石も発見されていないことから、塔跡と断定することは長い間疑問視されていた。
昭和44年に実施された発掘調査により八角形の石積の墳丘が発見され、基壇は一辺1.8メートルほど、南側4段、北側3段で構成された特殊な構造物であり、更に中心礎石の周辺に建物の礎石が発見されなかったこと等から、現在は奈良時代の火葬墳墓との見解が強く支持されている。
新里町には、塔婆石造三重塔や骨蔵器等、仏教の伝搬に関わる文化財が多く存在しており、この武井廃寺塔も奈良時代の上毛地区の仏教を知る上で貴重な遺構である。

八角形をした3段の基壇上に心礎が据えられている。
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