桐生木遣

ページ番号1002030  更新日 平成31年4月5日

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写真:舞台で男性たちがはっぴを着て歌っている様子

指定年月日
平成元年3月13日指定
区分
桐生市指定重要無形民俗文化財
所有者
桐生木遣保存会
発祥
江戸時代

労働歌であった木遣歌が現在の形に体系づけられたのは、鳶を主体とした火消しが組織された享保年間(1716)のころといわれている。
桐生においても江戸からの町人文化の流入とともに、鳶や火消しは桐生新町の自治組織に組み入れられ、定着していった。
桐生の木遣は江戸の指導者である「西行」によって伝授されたといわれているが、江戸木遣の大間(おおま)に対し、テンポが速い典型的な中間(ちゅうま)となっており、これが特徴となっている。
桐生木遣は中間であっても、節回し、艶の良さ、突っ込みのタイミング、明快で歯切れの良い言葉、木遣棒のしっかりした動きと所作が優れており、洗練された木遣として財団法人日本鳶伝統文化振興財団から高い評価を受けている。
桐生木遣に酷似するものは、前橋・熊谷などにもあるが、佐野・足利・高崎では、しだいに間が伸びる大間に移り変わる傾向がみられる。
木遣歌は口伝によって受け継がれ、成熟していったものであるが、独特な高尚の節回しと、自在で奥ゆかしい響の詞とともに、斬新で洗練された装束による粋といなせの姿で、祭事や各種慶事に披露されることも多く、なかでも桐生では、祇園祭礼・天満宮開帳には欠かせないものであった。
木遣が盛んに唄われたのは江戸時代後期から昭和初期までで、昭和30年代には後継者不足となった。この危機感から昭和46年に鳶の伝統文化や技芸を保持し、継承することを目的とした桐生木遣保存会「桐声会」が桐生鳶職組合内に結成された。
しかし、桐生木遣として継承された45曲のうち、完全に伝わるものは26曲で、残る19曲のなかでも4曲は復活の可能性があるものの、他は絶えてしまった。

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