善昌寺の新田義貞公首塚

ページ番号1001852  更新日 平成28年1月28日

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善昌寺はもともと大同寺と称していました。

永仁2年(1294年)に記された応仁記によれば、大同元年(806年)、伝教大師最澄(天台宗開祖)が上野(こうずけ)へ下向(注:都から地方へ行くこと)した際、弟子の宥海(ゆうかい)によって創建され、大同寺と称したと記されています。ちなみに山上多重塔は延暦20年(801年)建立です。赤城南麓では最も古く創建されたお寺です。

新田義貞は、鎌倉幕府倒幕の立役者として有名です。一方が海で他3方が山に囲まれた鎌倉は、攻めにくい地形でしたが、干潮の稲村ヶ崎から攻め込むという奇襲により鎌倉幕府を滅亡させました。しかし、その後上洛した義貞は、政略家の足利尊氏と後醍醐天皇の企みにより京から北陸に追いやられ、越前藤島(今の福井市)の合戦で無念の最期を遂げました。その首級(しるし)を桃井次郎が密かに持ち帰り、新田義貞の重臣、船田長門守義昌(ふなだながとのかみよしまさ)に預けたとされています(注:史実では首級は京に送られたとの説もある。)。

義昌は、主君の首級を手厚く葬り、供養のためこの寺で生涯を終えたといわれます。大同寺はそれ以降、義昌にちなみ善昌寺と称するようになりました。
義貞の首塚は、ほかの塔が凝灰岩製のものであるのに対し、周囲よりひときわ大きい安山岩製のものです。高さは2.1メートルで、素朴で重量感のある鎌倉時代の特徴が見受けられます。

以前、この下から白磁の壺が発見されたといわれます。

写真:善昌寺の義貞首塚塔

写真:階段

写真:石碑


所在地 
桐生市新里町新川2728
駐車場
有り
交通

上毛電鉄新川駅から徒歩20分

案内図

地図

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