【移住者インタビュー】黒保根町CASE.02 山内さん

ページ番号1021204  更新日 令和4年11月14日

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自宅の前にいる山内さんの写真

  • 家族構成 山内一広、順子
  • 移住年月日 2022年4月(2013年から2拠点生活)
  • 移住前居住地 東京都港区
  • 移住前職業 会社経営
  • 現在の職業 会社経営
  • 住居の取得方法 賃貸(戸建て)

黒保根に来るまでのあゆみをお聞かせください

一広さん)僕は広島出身なんだけど、父親が県内転勤族だったので、何市出身っていうのは特にないんよね。
高校までは広島で、大学は神奈川にあったので、上京しました。夜間の法学部だったんですけど、いろんな背景を持つ人が学友で、いい刺激を受けました。
学費は親が出してくれたので、昼はバイトで自分で生活費を稼いで、夜は学校に行って、という生活。
バイトでは最初は通信関係企業の営業、次は土木関係のサインの仕事。路側帯を引いたり、横断歩道に縞をつけたり、大型標識をつけたり。面白かったよ。学生時代に横断歩道を描いた人はなかなかいないんとちゃうかな?
大学卒業後は起業しようと思ってたら、親に「勉強のために1回は絶対就職しとかんといけん」と説得されまして。たしかにそうだなと思って、広島の会社に就職して、地元に帰ったんですよ。
地元愛がすごかったんで、大学卒業したら広島に帰ろうと最初から思ってましたからね。
その会社で5年半働いて、次は東京で通信系の会社に就職。それはそれは仕事がハードで。「2000年問題」の真っただ中でもあったので…。
それでも、僕は自社のサービスを選んでくれたお客さんを大切にしたくて、奮闘しとったんです。そうしたら、僕に賛同して一緒に頑張ってくれた人が、実はいまも僕の会社で働いてくれている。
本当に、僕は人に恵まれてるんです。僕も、周りの人を大切にしたいといつも思っています。
その後、21世紀の幕開けと同時に個人事業主になって、インターネット博覧会っていう政府のミレニアム記念事業のプロジェクトに携わった後、今度は大手通信インフラの新規事業のコールセンター長の仕事を縁あっていただけました。 そこで出会ったのが今の妻なんですけどね、前任のセンター長だったんですよ。

一緒に夕食の準備を楽しむ山内さん夫妻の写真

順子さん)2人しかいないヘルプデスクの時代から勤めてて、120人クラスの大規模コールセンターが設置されたら、そこのセンター長になったんです。 でも私自身の専門はテクニカルサポートだったから、そっちもやってセンター長もやって、とても忙しかった。それで一広さんがセンター長としてやってきたんです。
コールセンターって、毎日毎日クレームの嵐だから、スタッフは3か月で辞めるって言われるくらい人の入れ替わりが激しかった。
16歳から58歳まで、お芝居の卵の子とか、声優の卵とか、モデルの卵とか、いろんな人が働いているから、その人が一番輝いているところを見に行こうとって、一広さんといっしょにその人たちが出演するライブとかたくさん行きました。
そうこうしていたら、「人が辞めないセンター」って言われるまでになってた。

一広さん)事業終了でセンターが閉まったあとも、同系列の大手通信インフラと組んで仕事をしていました。
そうそう、その時お世話になった人がね、『「大丈夫か?」って言って「大丈夫です」ってやつは大丈夫じゃないんだよな』って言うたのね。で、『「大丈夫か?」って聞いて「何がですか?」っていうやつは大丈夫』なんだって。その人は毎日必ず7階建ての建物の上から社員の顔ずっと見ながら6階5階4階3階2階と降りてきとった。ひとりひとりを大切にするこの人だからこそ僕に響いた金言。今も大切にしている言葉です。
それからは、苦節何年っていう枕詞がつくような時代。社員を養うために仕事も取ってこなければいけなかったし、稼ぐために仕事を選べないので、地下鉄工事の作業から何から、なんでもやった。
精神的に参っとったよね。夜から朝まで毎日鉄粉にまみれて働いて、それなのにこの先がわからないから怖い。地下鉄工事で食い繋いで、そのあとは携帯基地局の工事で鉄塔に登り始めて。
そのころに、妻が事務方の仕事をとってきていたんだけども、そこからまた仕事が広がっていきました。人とのご縁でつながって、今まで事業をやってこれたようなもんです。

移住しようと思ったきっかけは?

一広さん)東日本大震災です。当時は高層マンションに住んでたんですけども、震災後はインフラがすべて停止したんです。電気も、水道も、ガスも。
上層階に住んでいたおじいちゃんおばあちゃんがね、階段で降りて、やっとこさスーパーに行っても、ペットボトル2本しか買えんて、また上まで階段で登りよるんです。
それを見たときに、「ここ(都会)は、お金持ってても何かあったら生きるだけでこんなにも大変な場所なんだ」って思ったんよね。
それで田舎暮らしをしよう、でも田舎暮らしをするって言っても何かをせんと生きていけんのんで、キャンプ場を作りましょうってここに来た。
会社自体は東京に残して、今まで一緒にやってきた仲間が全部切り盛りしてくれる。僕はもう全然東京に行ってないです。妻は黒保根と東京を行ったり来たり。

黒保根に移住した理由は?

経営するサバイバルゲームフィールドを管理する山内さんの写真

一広さん)キャンプ場候補地は木更津の方とか、真鶴とか、あと筑波とかね、いろんなとこ回ってたんだけども、最終的には妻の助言や知り合いの伝手をたどって、黒保根にたどりついたんです。
黒保根を紹介してくれた人は「すげえ山の中だぞ、群馬の」って言うてました(笑)
キャンプ場よりサバイバルゲーム(通称サバゲー)をやる場所が欲しいっていう声に応えて、作るものもサバゲーフィールドになってました。
2013年に黒保根にやってきて、でもその時はまだ2拠点生活というか、住民票は都内にあった。


今のご自宅は、どうやって見つけましたか?

自宅の前に立つ山内さんの写真

一広さん)こっちに来てから、この家の前の所有者のおじちゃんに出会ったんです。
最初は今住んでいるところの近くに家を借りてたんですけど、ここのおじちゃんがうちに遊びに来始めたんよ。
で、こいつは何をする人ぞって聞かれたんで、サバゲーやるんじゃ、場所はここなんじゃって答えたら、おもしろがって毎日遊びに来るようになったんです。
今度はそのおじちゃんが住んでたここ、今の自宅に遊びに来たら、薪ストーブがあっておしゃれな家だなと思って。
それから何年かして、そのおじちゃんが亡くなったんです。毎日行き来してきたから、寂しかったな。
そのあと2、3年くらい空き家だったんだけども、このまんまじゃここが朽ちちゃうから、っていうんで僕が借りて住むことになったんです。おじちゃんの遺族の力仕事の手伝いとかもしてて、やっぱりそうした人と人との繋がりを大事にした結果なのかな。

ここ、ログハウス調というか、もうログハウスなんよ。おじちゃんがまだ存命だったころ、僕の友人たちといっしょにここに遊びにきたんですよ。
そしたらね、おじちゃんがたくさん説明してくれたんよ。ここの砂利を運んで何トンも入れたんだよとか、お風呂がどうでって。
それから、そのおじちゃんは日本地図を見て一番地震がない、一番安全な場所がここなんだ、だから黒保根を選んだって言ってた。本当かどうかは分からないけど、それでもたくさん思いが詰まった家なんよね。

自宅でくつろぐ山内さんの写真

黒保根に住んでみていかがですか?

一広さん)東京よりはええんでずっとここにおるんよ(笑)。僕の性に合う。
でも、ドライな感覚っていうか、ご近所づきあいしなくていいと思ってきちゃうと…僕は近所づきあいも含めて田舎暮らしだと思うん。
別に周りの人が相手にしてくれんのだったら、それはしょうがないと思うけど、自分の方から拒むことはないよねって思った。
それから東京っていうのは一芸に秀でた人がお金儲けができる場所やけど、ここは何でもできる方がすごい人やと思ったよ。
この感覚は多分全然東京と違う。何でもっていうのは、農業もDIYも、例えばね、水道が破裂したら、それをここをこうしたら直るんだ、これを買ってこいとかって教えてくれたりとか。
つい最近、ポンプ…サバゲーフィールドには水がないんで、タンクの中にポンプアップしてるんだけど、そのポンプがエンジンかからんくなった。
近所のおじさんとこに持ってったら、一発でかけたからね。コツがあるんよね。
「こんなこともできるんか、この人は!」って尊敬するんよ、そういうのってやっぱりすごいことで。都会でそういうポンプを使うってことは専門業者じゃなければまずないよね。チェーンソーを持ってる人もおらんじゃろ?草刈り機だって持ってない。僕は黒保根に来て草刈機何個も買ったよ。今日の朝だって全部草刈ったんだよ。身近なことを全部自分でできるようになるんだよ。
やっぱそういう人が、こういう地域のスーパーマンというか…いっぱいおるなあ。どのおじさんもみんなスーパーマンかもしれない(笑)

お仕事の面ではどうですか?

サバイバルゲームフィールドに居る山内さんの写真

一広さん)東京に会社があって、社員のみんながしっかりやってくれているので、そっちは基本的に僕の出る幕はないんよ(笑)
もちろん、何かあったときには僕がいかなきゃいけんのやけど、東京まで電車で2時間程度だから、田舎とはいっても便利やと思う。
神奈川に住んでる僕の友人も、このログハウスがたいそう気に入ったみたいで、結構な頻度で遊びに来て、1週間くらい泊まって行くんよ。で、ここでズームとか使って会議したりしよる。ここでリモートワークするのが楽しいみたいよ。
僕自身は、黒保根でサバゲーフィールドやっとるけん、お客さんとの出会いがたくさんあるんやけど、都会におったらきっと交わらなかった縁だったろうし、やっててよかったって思っとるよ。
 

移住してきてよかったことは?

順子さんの写真

順子さん)私ね、やっぱり水がいいと思います。

一広さん)大阪の子も言っとった。ここに5人くらい来とったんよ、女の人ばっかり。その時にシャワーを浴びたら全然違うっていう。

順子さん)そう、飲むだけじゃなくて。髪がバサバサしないんですよね、こっちで洗うと。トリートメントとか使わないんですよ。
例えば東京のホテルに泊まって、髪洗うとバサバサするはずなんですよ。いつもと違うシャンプーだからと思っていたんですけど。でも違いました。
こっちは同じシャンプーを持ってきても、リンスいらないじゃんって。東京は絶対リンス使わないと駄目ですからね。リンス使わないなんてありえないんですよ。でもこっちいらないじゃんっていう感じ。

一広さん)あと飲み水としても東京より美味しい。東京の水道は、すごい技術使ってて安全だとかって見学に来るくらい有名らしいんだけども、黒保根とはやっぱり違うね。

順子さん)東京の子で沸かさないと飲まないっていう子は結構いますね。「え、沸かすの毎回?」って言ったら、「いや僕は沸かしますよ」って言って。不思議ですね。蛇口から出てきてもそのまま飲んでいますけどね。
野菜もとれたてが美味しいんですよね。保ち方が違う。
例えばこっちで農家さんからもらうじゃないですか、もう10日ぐらい平気なんですけど、東京で買ったら、キュウリとか次の日にパキンて割ると、中がスカスカ。すぐ白いスポンジみたいになる。一番顕著なのはきゅうりかな。

一広さん)しかも野菜の値段も東京では全然違うもんの。

黒保根に来て予想外だったことは?

一広さん)自営じゃなくて、会社員やっているような人たちは、みんな定年退職したら、遊んでもらえるもんだと思ったんですよ。
でもその後継続で仕事に行っちゃうんですよ。本当にみんな勤勉。
それから、仲良くなったおじいちゃんおばあちゃんがどんどんいなくなっちゃうこと。これはもう仕方ないんだけど、寂しいよね。
あと田舎に移住したいなって人は、周りの人との交流も含めて田舎暮らしだと思うので、人とのつながりを大切にしてほしいなと思います。

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