【移住者インタビュー】黒保根町CASE.04 関さん

ページ番号1022321  更新日 令和5年2月24日

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関さん夫妻の写真

  • 家族構成 関繁人、裕子(音楽活動名は藤井裕子)

  • 移住年月日 2022年5月

  • 移住前居住地 東京都練馬区

  • 移住前職業 音楽家、トランペット奏者

  • 現在の職業 音楽家、トランペット奏者

  • 住居の取得方法 購入(中古・戸建て)

繁人さんの生い立ちを教えてください。

繁人さん)京都府出身です。小学校低学年ときに父の転勤で広島の田舎に引っ越しました。鑑賞教室で広島交響楽団が小学校に来て、楽器紹介でトランペットの人がルパン三世を吹いてたんです。いいなってその時自分は思ったらしいです。
で、運動会の鼓笛隊に入って、なぜか小太鼓に立候補。でもジャンケンで負けて、第2候補のトランペットになりました。この時は指導してくれる先生もいないし、楽譜も読めないしでただひたすら根性で音が出るようになるまで修行をしたんですよ。
また父の転勤で少し都会の中学校に行ったら吹奏楽部があったので、トランペットを志望したら、そこでまたジャンケン。今度は勝ちました。
僕のトランペット人生、実は2回のジャンケンで決まってるんですよね。2回ともトランペットを吹くルートになって、中高はもうずっと吹奏楽部でトランペット。
高校生で進路を決めなきゃってなったときに、やりたいことが無いんだったら今やってることでプロになろうって思ったんですよね。クラシックは大好きで、ラジオのクラシック番組を録音して何度も聞いたりするような少年でしたし。それで音楽大学に進路がおのずと決まった感じですね。
普通じゃ考えられないけど、音大の受験準備を高3の5月から始めたんです。トランペットも自己流からの大改造だし、ピアノとソルフェージュ(音楽全般の基礎知識)も徹底的にしごかれて、超濃密な時間を過ごしました。あのころは1日5、6時間ピアノを弾いてたんじゃないかな。音大に合格した時は、受験生の中でもかなりいい成績だったみたいです。
ピアノの先生が、とりあえず合格すればいいっていう考えじゃなくて、基礎からしっかり教えてくれる先生で、バイエルから一通りやりました。そこまでやらなくてもと今なら思うんですけど、これが後々の僕の音楽の養分になったと感じているので、ガチンコで教えてくれた先生には感謝しています。
それから、ずっとトランペットで大学院まで進んで、卒業後はテーマパーク付の楽団に1年所属。退団後は広島に戻るか、東京に打って出るかの2択で、東京を選びました。
東京でいろいろな仕事をしていたんですけど、金管五重奏をやるって時に、妻に出会いました。お互い全然違う人から声をかけられて参集したので、本当に偶然。出会えた事に感謝しています。

裕子さんの生い立ちを教えてください。

裕子さん)生まれは新潟県新潟市で、大学院卒業まで新潟にいました。中学・高校の吹奏楽部でトランペットを吹いていました。
もともとは調律師になって楽器屋に勤めて、吹奏楽の指導に外部講師で行くという夢があったんです。だから大学は何科に行ってもいいと思ってたんですけど、偶然良いピアノの先生にめぐり会えて、叩き込んでもらってピアノ科に合格しました。
大学ではピアノを一生懸命やって調律師になろうって思ってたんですけど、オーケストラの授業でトランペットを吹いたことがきっかけで、お仕事をいただいたりして。
そのうち、私のトランペットを評価してくれた人が習いにおいで、と何度も誘ってくれて、トランペットでやっていこうと決めました。教えるなら吹けなくちゃと、大学院を卒業後に上京して、東京藝大の別科に入学、2年間トランペット漬けの日々。
入口はピアノ科だったのに、いろんな偶然や出会いに引き寄せられてトランペット吹きになってました!

カウベルを演奏する裕子さんの写真
カウベルを演奏する裕子さん

卒業するときにビアホールでアルプホルンや民俗音楽を演奏するポルカバンドのオーディションを受けて採用されたんです。
そのあとはすごいありがたい縁続きで、仕事をいただいています。故郷の新潟でも教えてるんですけど、それも声をかけてもらったお仕事です。

移住のきっかけは?

繁人さんの写真

繁人さん)結婚して都内に住んでいたころは、練馬区の江古田にいました。芸大や音大があるから、芸術系の人が多い地域なんですよ。音を出す人もたくさんいるから、お互い様でっていう雰囲気です。スーパーも近いし、ベランダも広いし、生活するには不便もなかったので、同じアパートに18年住んでいました。
そのアパートが取り壊しすることになって、急遽住む場所を探さないといけないことになりまして。
ちょうどコロナ禍で演奏やレッスンの仕事もほぼ無い状態になっていて、このまま賃貸で東京で暮らしていく意味を考えたときに、毎日都内で仕事してたら田舎に引っ越す勇気は出なかったと思いますけど、「お互いに地方に仕事で出ることも多いので、それなら住むのは地方でもいいんじゃないかな?」と話し合い、地方移住を決めました。
4月に取り壊しのことを言われて、10月くらいまでに出てねって言われたんですけど、探しまくったら、5月にこの家に出会って、結局決まるまで1か月かからなかったです(笑)

移住先を黒保根にした理由は?

自宅で練習中の写真

繁人さん)以前から群馬で暮らすっていいねって思ってはいたんですよ。遠征した帰りに通るときは、いい景色、いい空気を充電していました。
群馬の中でも移住先の決め手はやっぱり音楽ができるかどうか。どこに住むか、よりまずは物件があるかないかで探していたんです。
僕らの仕事は演奏したり教えたり。そのためにトレーニングっていうのが絶対必要で、それができることが第一条件でした。どこまで音漏れするか、防音を施す必要があるかどうかを常に気にしてました。
あとご近所の理解も必要で、騒音になってしまったら、どうしてもトラブルになるんです。物件を見るときに地域の様子とか雰囲気まで気にして見ていましたね。賃貸だと引越できるけど、買ったらもうおいそれと引っ越せないし、すごく慎重に調べてました。
黒保根に来たのはこの物件が空いてたから。たまたまですけど、ここまで僕たちにとって条件の揃った物件ってあんまり出ないんですよ。黒保根がどこかも全然分からずに、カーナビでここまできたら、場所もいいとこだった。

裕子さん)私は最初この家を写真で見て、小さすぎるかなと思ったんだけど、来てみたらいいねって。他の物件はすっごく細かく調べてたくせに、ここはもう一度見てすっかり気に入っちゃったんです。音だって何とかいけそうっだったから、絶対にこれ逃したくないって、来てその日のうちに契約しました。
黒保根が何たるかも何もわかってなかったんですけど、でももうここがいいねって。
この家は本当にちょうどいい。ご近所との距離もちょうどいいし、国道が近いのでそこそこの環境音がある。私たちが音を出すから、山の中だと本当に静かすぎちゃって。車の走行音や、用水路の水の音、そういう音がありがたいんです。

実際に黒保根に住んでみて、どうでしたか?

裕子さんの写真

裕子さん)やっぱり人がいい!
仕事が仕事だし、何か生産してるわけでもないし、受け入れてもらえるのか心配はあったんです。ここを買ってから、8月に引っ越してくるまでの間、ちょくちょくのんびりしに来ていて、人が見えたら走って行ってご挨拶してたんです。みなさん、よろしくね、とか私そこの家よ、とか、ここだったら大丈夫でしょうって言ってくれて。人間関係が厳しくて入り込めない、なんてイメージとは全然違って、とても柔らかくて。町会長さんやご近所さんもいい人が多くて、いつも気にしてくださるんです。
先日黒保根でミニコンサートをやらせてもらったんですけど、「こんにちは、今度コンサート行きますよ」って、チラシ見た方が話しかけてくださったり、黒保根の皆さん、本当に開放的で。
来るまでは自然とか環境がいいと思ってたけど、暮らしてみたら人が明るくて、芯がしっかりしてて、軽やか!黒保根の人とのおしゃべりで、自分のやりたいことをやる勇気をもらえるんです。移住だって、やりたいと思ってやったから出来だことなんだなって実感しました。
あとは、一番最初に内見に来た時に、鳥がすごく鳴いてて、すっかり気に入っちゃいました。本当に鳥が歌うまいな、鳥ってこんなに上手に鳴くんだなって(笑)

繁人さん)そういえば夏は涼しくて、あれが奇跡でしたね。都内では無理なんですよね、毎日エアコンをガンガンかけていたと思います。夜も涼しい。 東京に比べたら多分5度ぐらい違う。快適。

黒保根に移住して大変だと感じたことは?

繁人さん)冬は朝晩が寒いですけど、そんなに大変なほどではないです。今のところ大変だと感じるところは何もないですね!
東京に毎日通うとなったら結構大変だとおもいますけど、僕らの仕事は依頼があったら全国どこへでも出かけて行って、ツアーなどに出たら1週間帰ってこないこともあるんです。だから、家にいる時は本当に「暮らしてる」ことが大事で、その点において全く不満がないです。家も環境も本当に暮らしやすいですよ。

裕子さん)初めて回覧板を回した時。
突然、お隣じゃない新参者が回覧板を持ってきたので、次のお宅が「うちじゃない!」って(笑)
お互いにあれ?ってなっちゃったんですけど、いろいろお話できて、今では楽しい思い出です。

働き方は変わりましたか?

黒保根学園で開催したミニコンサートの写真
黒保根学園で開催したミニコンサート

繁人さん)僕は以前からいろんなところに出ていくのが中心だったので、あまり変わってないですね。教えるのと演奏するのと、両輪でやってて、個人レッスンもあるし、学校の吹奏楽のトランペットパート指導だったり、バンド全体の指導だったりもあります。
どこかで演奏会があったら、リハーサルやレッスンをくっつけて、その足でまた次の場所へ行けるようにスケジュールを組んだりします。

裕子さん)コロナ禍で都内のレッスンやバンド系で動くような仕事は減ってたんですけど、ピンポイントで頼まれるような仕事は変わってないかな。
台東区や荒川区の学校で管楽器を教える指導員なんですけど、コロナ禍に突入してからはその制度自体が休止状態になっています。それでも担当の先生が勇気を出して活動を再会した学校には今も行ってます。
新潟でのレッスンは学生の頃からずっと続けてて、高校や大学でも教えているので、段々新潟が活動の中心みたいになってます(笑)

繁人さん)イベントで1週間とか10日とか、長期になるときもあるんですけど、そういう時は都内に住んでようが地方に住んでようが、どうせホテル住まいになるんですよね。

裕子さん)偶然にも、二人そろって長期に家を空けるタイミングはまだなくて、1人の時間を楽しむときもあって、山に登ったり家庭菜園の世話をしたり、快適に過ごしてます。土日は地方に仕事に行って、平日は黒保根でいい天気だな~とのんびりして、っていう生活です。

黒保根愛を語ってください!

荒神山に登って赤城山を背景に撮った写真

繁人さん)遠征から家に帰ってくるとホッとしますね。東京に暮らしてたときの比じゃないくらい。空がとにかく広いのと、山が見えてて、今考えたら当たり前なのかもしれないですけど。空は一緒なんだけど、でもなんか違う。山があることによって、空の存在感が違う感じがして、やっぱり帰ってくると流れている空気とか雰囲気とかで何か脱力する。この家自体も木のぬくもりもあり、天井も高くて開放的でほっとできる。

裕子さん)もうね、帰り道に桐生市って看板見たら「帰ってきたー!」って感動しちゃう。電車で帰ってきてもうれしいし、車で帰ってきても嬉しいんです。
黒保根、本当に素晴らしい所に来られて幸せです!

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