桐生桧杓山城跡
- 指定年月日
- 昭和46年2月6日
- 区分
- 桐生市指定史跡
- 所在地
- 桐生市梅田町一丁目地内
- 詳細
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中世山城跡
正平5年・観応元年(1350)築城
天正18年(1590)廃城
桧杓山城は、正平5年・観応元年(1350)に桐生国綱(後桐生氏)が築いたものとされている。領主の居住地を山麓の居館につくり、梅原館を下屋敷とした。その規模は大きく、桐生川扇状地の両袖の高地である西方の丸山砦、南方の浅間山砦、その両砦をつなぐ下瀞堀、北方の物見山砦とを結ぶ一帯を城郭とした。
標高361メートルの本丸を斗口とし、二の丸、三の丸を柄とする柄杓型の梯郭構造で、堀切は深く、武者屯、郭馬出しなど城跡の全部が完全に残っている。
城域は桐生氏の発展とともに整備され、渡良瀬川に沿って、西から永明砦・小倉丸山砦・今井宿砦を前進基地とした防備堅固な実城となった。
初代国綱は高津戸城を攻略し、領土を西方にひろげ、8代重綱は五覧田城を攻略して黒川山中を手中におさめ、9代助綱のときに最盛期を迎えた。
金山城主由良成繁はこれをねたみ滅ぼそうと計画していたところ、助綱が死去し、養子親綱の代の内紛に乗じ戦端をひらき、天正元年(1573)3月ついに攻略し、桐生氏を滅ぼした。成繁は、翌年桧杓山城に隠居し、町屋を復興した。成繁の死後嗣子国繁が城主となったが、国繁は北条氏政の軍に属したため、天正18年(1590)小田原開城後常陸国牛久へ転封となり、それ以後廃城となった。
平成元年度に実施した踏査において、桧杓山城は由良成繁によって大改修が行われていることが明らかとなり、北郭の一部においては中世山城では珍しい石垣も発見されている。
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