由良成繁の墓
- 指定年月日
- 昭和46年2月6日
- 区分
- 桐生市指定史跡
- 所在地
- 桐生市梅田町一丁目1173
- 所有者
- 鳳仙寺
- 詳細
- 五輪塔1基(高さ125センチメートル)
- 建築年代
- 江戸時代
由良成繁・国繁父子が桐生を領有した時期は、天正元年(1573)から天正18年(1590)までで、成繁の統治は最初の6年間であった。
桐生を攻略した成繁は、天正元年3月弟長繁を城代とし、藤生紀伊守とともに進駐させた。成繁も同年6月領内を巡検し、桐生を隠居城とすることにきめ、金山城を嫡子国繁に譲り、翌天正2年5月桐生に入部し、攻略の功労者である海応のために鳳仙寺を建立し、また町屋を城下町として整備するなど民政に意を用いたが、天正6年(1578年)桐生で死去した。
成繁の墓は鳳仙寺本堂裏の台地にある。墓石は総高125センチメートルの退化型五輪塔で、その各輪に「祖師再来意」の句1字ずつを、また、地輪に「中山宗得居士 天正六年戊寅六月晦日」と陰刻している。しかしこの五輪塔はその形態から江戸中期のものと思われ、後世の改修といえる。
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