桃井塚

ページ番号1002026  更新日 平成28年1月24日

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写真:塚の石標

写真:塚がたくさん並んでいる様子


写真:大きな石の前に「腹切石」とかかれた札が立てかけてある

指定年月日
市指定史跡
区分
昭和48年3月1日
所在地
桐生市新里町新川1268-2

南朝の後醍醐天皇を守る新田義貞と、一方、光明院の北朝を擁する足利尊氏の対立はますます激しく、各地で転戦が繰り広げられました。いわゆる南北朝の動乱です。
延元3年(1338)に越前(福井県)藤島で激しい戦いとなりましたが、義貞の戦死によって戦乱は終わりを告げました。義貞の家臣として参戦した桃井次郎尚常は、さらし首となった主君の首級(しるし=打ち取った首)を密かに善昌寺へ届け、その後、新川の大屋の地で主君のあとを追い、自害したと伝わっています。そこには、腹切石といわれる長辺90センチメートル、短辺60センチメートルの安山岩があります。
文政7年(1824)に奉献された燈篭には「桃井宮」と刻まれていることから、江戸時代の終わり頃にはお宮があったことが分かります。奉納者は、二ノ宮村(前橋市二之宮町)小松屋要助と記されています。

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