梅原館跡

ページ番号1002028  更新日 平成28年1月24日

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写真:梅原館跡の周りに木が茂っているようす

指定
昭和37年3月14日
区分
桐生市指定史跡
所在地
桐生市梅田町一丁目25 薬師堂 
時期
中世館跡 鎌倉及び室町時代

梅原館跡は平安時代に桐生を所領した、足利俊綱の家臣である桐生六郎(前桐生氏)の居館であったといわれている。
室町期になり桐生国綱(後桐生氏)によって桧杓山城が築かれ、領主の居住地が城山の麓である居館に移ったことによって、この梅原館跡は下屋敷となり、ここを基点とした町屋づくりが行われたものと推考される。現在でも西・南側の一部と北側には土塁が残され、その外側には掘跡の痕跡が認められる。また、南方約500メートルにわたっては、町屋跡と考えられる古い町割りが残っている。
昭和63年度と平成元年度に館跡内と掘跡の一部が発掘調査された。
その結果、館跡内からは多数の柱穴跡が発見され、継続的な建築物があったことが明らかとなり前桐生氏の時期である12世紀代の遺物を認めることができた。また、堀跡の発掘調査では、上幅7メートル、探さ2メートル、底幅3メートルほどの丸堀であったことが判明した。さらに、堀は14世紀後半から16世紀にかけて遺存したことが確認され、ここ梅原館跡は桧杓山城が築城された後桐生氏の時代になっても、城館としての機能を有していたことが裏付けられた。
発掘調査によって得られた出土遺物は、土器類のほか中国製の青磁を含む陶磁器片である。そのほか特筆されるものとしては、堀跡から中世の漆器としては出土例の数少ない、赤漆塗の木製椀が発見されたことである。

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