中村家住宅(中村弥市商店 店舗)他6棟
- 区分
- 国登録有形文化財
- 所在地
- 桐生市本町一丁目6-33
- 建設年代
- 明治27年~昭和12年
各建物について
本町通りの東側で、幅約12メートル、奥行き約82メートルの敷地北寄りに、表から店、文庫蔵(新座敷)、奥座敷が直列し、南辺に浴場、石蔵が建ち並ぶ。この短冊状の屋敷地は、桐生新町町立て当時の規模をそのまま伝えている。
(1)中村家住宅(中村弥市商店)
中村家が所蔵する「貸家台帳」には自宅として店の建築年月日、建築坪数のほか土蔵、物置についての記載と平面図が残されている。これによって店の建築年は大正11年2月25日であることがわかる。構造形式は、木造で二階建で桁行10.23メートル、梁間7.44メートルで、屋根は桟瓦葺の寄棟妻入で、総高は約8.5メートルである。いわゆる出桁造で、外壁は鼠漆喰塗り仕上げとする。「貸家台帳」の図面と現状はほとんど変わりがなく、一階正面の出入口がサッシ戸に、また、内部も表に面した帳場が土間に改変されているだけである。帳場の背後は「茶の間」と称される8帖と6帖の二間が並列しているほか、4帖の座敷からなり、東面に三尺ほどの内廊下が設けられている。二階正面には格子戸がはめ込まれ、10帖と6帖の座敷となっている。二階部分の建ちが高く、近代の町屋の形式を良好にとどめている。
(2)中村家住宅(中村弥市商店 文庫蔵)
大正14年生れの現当主である中村弥市氏が、小学校6年生のとき建て替えたとの記憶を根拠とするもので、昭和12年に着工したことが明らかであるが、このときの工事は昭和14年頃まで続いたという。「貸家台帳」に添付されている図面にも土蔵と蔵前の板敷きの廊下が描かれているが、全体的に東寄りにずれており、また、階段の位置が異なるなどの相違が認められるところからも、建て替えられたことが明らかである。外観は白漆喰塗風で内部の蔵の出入口の上部には絵様が陰刻されているなど一見土蔵に見える鉄筋コンクリート造で、桁行6.20メートル、梁間4.51メートルである。昭和初期の鉄筋コンクリート造の蔵としては、昭和7年築の旧水道倉庫の例があるが、これは水道関連施設の一つとしてすでに登録文化財となっている。
(3)中村家住宅(中村弥市商店 新座敷)
文庫蔵の蔵前座敷と西側に付属する建物からなり、中村家では新座敷と呼んでいる。文庫蔵と同時に建てられたもので、蔵前に当たる部分は鉄筋コンクリート造で、西側に付属する木造の部屋が取り付いている。蔵前にあたる南に面した部屋は桁行8.20メートル、梁間2.46メートルで、外壁はモルタル仕上げである。右側には勝手で、この周りの外壁は花崗岩が用いられている。屋根は陸屋根でベランダとなっており、現在、手摺りにはコンクリート製のブロックが積まれているが、当初は真鍮製であったという。天井中央部にはブロックガラスをはめ込んだ明かり取りが設けられている。かつて新座敷は従業員の食堂として利用されていた。新座敷西側に付属する木造の部屋は、桁行6.52メートル、梁間2.45メートルで、先代弥市が畳敷きにして碁会所として利用していたという。
(4)中村家住宅(奥座敷)
座敷、土蔵、蔵前からなり、桁行11.99メートル、梁間17.57メートル、木造寄棟妻入桟瓦葺で、望見できる北壁は下見板張である。南に面して6帖と10帖の二間が続き、その北側に蔵前と呼ぶ板敷きの一部屋が取り付く。西側の文庫蔵との間にはオクンチノクラ(奥の家の蔵)と呼ぶ土蔵が設けられているが、一つの屋根で覆われているため、外からはまったく見ることができない。この土蔵は中村利八が経営していた質蔵と伝えられ、その周りには半間幅の廊下が一周していたが、西辺の廊下は文庫蔵の建て替えによって失われている。この土蔵の梁の墨書冒頭に「紀元2554年 略暦明治27年10月16日建設之」とあるほか日清戦争のことが記され、最後に「中村利八建設 當48歳、中村弥市 當14歳」とある。これらは明治27年を示しており、奥座敷の建築年代を特定する有力な証拠となっている。なお、中村家所蔵の「貸家台帳」に添付されている奥座敷の図面は、現状とほぼ変わっていない。
(5)中村家住宅(中村弥市商店 石蔵)
敷地の南辺に沿って建つ、石造切妻造桟瓦葺、桁行10.56メートル、梁間2.60メートルの短冊状の細長い蔵である。安山岩の切石積みで、腰壁以外は、内外壁とも漆喰塗りとなっている。壁体に直接和小屋を乗せている。かつては家業として取り扱っていた生糸の原糸や人絹を保管していたため、中村家では人絹蔵と呼んでいた。入口を境にして内部を左右に分け、右側には湿気を嫌う生糸のため、板床が張られていたという。現在は倉庫として利用されている。
(6)中村家住宅(浴場)
本町通に接して店の南側に建つもので、奥につながる出入口となっている。門の袖壁は漆喰塗で、店と一体となった造りとなっているところから、同時期の建築であることが明らかである。幅4.25メートルで、扉は左右の引き戸となっており袖壁に納められるようになっている。屋根は切妻造で桟瓦葺を載せる。昭和30年代に、車を出入させるため右側の柱を撤去し梁を鉄骨で補強しているが、外観は当初の姿を良くとどめている。
(7) 中村家住宅(門)
本町通に接して店の南側に建つもので、奥につながる出入口となっている。門の袖壁は漆喰塗で、店と一体となった造りとなっているところから、同時期の建築であることが明らかである。幅4.25メートルで、扉は左右の引き戸となっており袖壁に納められるようになっている。屋根は切妻造で桟瓦葺を載せる。昭和30年代に、車を出入させるため右側の柱を撤去し梁を鉄骨で補強しているが、外観は当初の姿を良くとどめている。
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