旧堀家住宅

登録文化財について
- 名称・員数
-
旧堀家住宅主屋(きゅうほりけじゅうたくしゅおく)
1棟
旧堀家住宅蔵(きゅうほりけじゅうたくくら)
1棟 - 区分
- 登録有形文化財(建造物)
- 登録年月日
- 平成27年8月4日
- 所在地
- 群馬県桐生市巴町一丁目字柿ノ木1117-1
- 構造形式
建築面積 -
旧堀家住宅主屋:木造平屋建、瓦葺、278平方メートル
旧堀家住宅蔵:鉄筋コンクリート造2階建、瓦葺、19平方メートル - 年代
-
旧堀家住宅主屋:昭和2年(1927)、平成20年飲食店へ改修
旧堀家住宅蔵:昭和4年(1929)
- その他
-
旧堀家住宅は現在、レストラン・ショコラ・ノアとして営業中です。
飲食をお楽しみいただくお客様が対象のため、通常、見学のみの一般公開には対応しておりません。
堀祐織物工場と堀祐平
旧堀家住宅は、群馬県桐生市巴町1丁目に存在した堀祐織物工場敷地内の南側に建てられた事務所兼社主堀祐平の居宅である。
明治10年(1877)長野県に生まれた堀祐平は、明治29年(1896)当時の桐生町に移住し、織物の図案など意匠関係の仕事に従事していたが、明治38年(1905)堀祐織物工場を設立し織物業に進出する。明治40年(1907)に経糸に本絹、緯糸には当時使用されることの少なかった人造絹糸(以下、人絹)を使用したリボン織(髪飾用リボン)の開発と専用織機の製作に成功し、桐生における人絹使用の先駆者のひとりとなった。当初、人絹を使用した製品の国内需要は少なかったが東南アジアにおける輸出で成功を収めることとなり、国内での流通も広まっていった。 昭和初期の最盛期には切妻屋根工場、3連鋸屋根工場のほか、尖塔形の屋根の付く洋風の事務所棟、食堂、寄宿舎、給水塔などの関連施設があり、従業員の福利厚生にも努めていた。

桐生の代表的な輸出織物会社であり、最盛期には150人以上の従業員を擁していた堀祐織物工場であったが、太平洋戦争中の昭和18年(1943)政府は戦争継続のため戦争増強企業整備令を発令し、織物会社に対して織機の供出と工場及び付属物の転用を行った。これは、織物会社の事実上の廃業を意味し、堀祐織物工場も昭和19年(1944)10月、敷地内の工場施設の他、社屋、堀家関係者の住宅など一切を手放すこととなった。
戦後、現地で再開されることは無かったが、昭和25年(1950)12月、長女の夫により800メートルほど西の元宿町で堀織物株式会社として再興された。その後、平成17年(2005)に操業を終え100年に渡る織物会社の歴史を閉じた。
現在の旧堀家住宅
戦後、堀祐織物の土地は分割譲渡され、工場施設も解体されて、ここに大きな機屋のあった痕跡は殆ど失われている。旧堀家住宅は所有者の変更や幾度かの改装も含めた変遷を経たのち、所有者、まちづくり関係者、飲食店経営者らにより平成20年にレストランに改装され、地域に根差した文化財の活用事例として現在に至っている。
旧堀家住宅主屋

桐生でも有数な織物工場の経営者の住宅である。木造平家建の和風建築の南に幾何学模様など当時流行のデザインを取り入れた洋室、北に鉄筋コンクリート造の蔵をもつ。
旧堀家住宅蔵

主屋玄関北に建つ2階建の蔵で、外観は土蔵風であるが、鉄筋コンクリート造りである。昭和初期の鉄筋コンクリート造建築の一例として貴重である。
日本基督教団桐生教会と堀祐平
堀祐平は明治33年(1900)日本基督教団桐生教会の洗礼を受けキリスト教の信者となり、織物会社の経営理念にもその博愛精神を反映させた。令和6年登録有形文化財となった日本基督教団桐生教会教会堂の建築の際には同教会の長老として建築用地、費用を寄進している。
登録有形文化財 旧堀家住宅(ショコラ・ノア)所在地
ご意見をお聞かせください
このページに関するお問い合わせ
教育委員会教育部 文化財保護課
〒376-0043 群馬県桐生市小曾根町3番30号
電話:文化財保護係 0277-46-6467
埋蔵文化財係 0277-46-6468
ファクシミリ:0277-46-1109
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。











