後藤織物 主屋他10棟
初代後藤定吉は嘉永元年(1848)生まれで、明治3年(1870)に現在地である荒楽土村へ居を構え、機業を始めたと伝えられている。
定吉はいち早く洋式染色技術の導入をはかり桐生織物の改良を進めた。明治11年群馬県令の許可を得て森山芳平らとともに前橋の群馬県医学校(建物は桐生に移築され、重要文化財旧群馬県衛生所として現存)の聴講生となり、化学の教員である小山健三から密舎染(化学染料による染織)を学び、修業証書が残されている。
明治10年には揚柳縮緬(絹綿交織)を産出し、明治12年には観光繻子を工夫して中国製の南京繻子に対抗するなど、明治初頭の桐生織物業に大きな貢献を果たした。さらに明治25年には管捲機械を発明して特許を取得し、京都の稲畑勝太郎よってアルザルス工芸会員に推薦されている。
後藤家の文書の中には「伊勢神宮参拝道中日記」という記録がある。明治16年2月4日から45日間に及ぶ旅日記で、大坂造幣局で硫酸や硝酸鉄を買い求め、さらにその製造方法を学んだことや、京都で開催中の博覧会を見学したり、西陣の機業を訪れ繻子織についての視察したことが記されている。桐生織物発展のために勉強している様子が垣間見える大変興味深い資料である。なお、硫酸は生糸をアルカリで煮たあと中和させるために必要で、また、硝酸鉄は染色に使用するものである。
後藤家は明治時代から今日まで主に帯地を織ってきた。現在でも桐生織の伝統を引き継ぐ有数な機業であり、桐生織物業の中心的な立場にある。
主屋の建築年代は、初代定吉が分家として定住した明治3年と伝えられているが、建築年代を特定する資料は現存しない。
後藤織物主屋については明治33年と大正14年の家相図が残されており、明治33年の家相図によると現奥座敷部分に増築する計画があったようで、建物平面図が上張りされている。南側の座敷四間は現在とほぼ一致するもので、当初と考えられる。また、井戸の位置も現在と同じである。さらに工場として並列する細長い2棟の建物が描かれているが、その形状からこれは鋸屋根工場と考えられる。
大正14年の家相図の主屋はほぼ現状に近いものであるが、土間部分についてはその後の改造が見られる。門の右側にあたる倉庫、釜場、東側の塀に沿った物置、工場背後の蔵、工場脇の便所、井戸館は現状と一致する。
織物工場は昭和19年に工場のほか釜場、寄宿舎の建物を日本機械株式会社に売り渡した書類が残されている。これは企業統制による強制的な譲渡で、便所にいたるまで供出した。
工場を戦後間もない昭和24年に再建したことは、織物工場増築工事仕様明細書によって明らかであるが、これには見積書のほか平面、小屋伏図が添付されている。仕様書には工場増設と記されているところから、主屋に隣接する切妻造の工場は昭和24年以前にすでに建設されていたと考えられる。
工場に付設する便所は戦前から水洗であったようだが、これを裏付ける群馬県知事から「水槽便所建設許可書」が2通(昭和9年1月付、昭和9年6月付)残されていた。桐生市の水道事業は昭和7年に開設され、当地区にも水道は敷設されていた。しかし染色には多量の水を使用するところから、井戸水を利用するために給水塔を設けたと考えられる。給水塔に汲み上げる動力は工場のモーターからプーリーによって行ったという。
門、板塀、竹垣については後藤織物の景観上欠くことができないものなっている。
後藤織物の敷地内には桐生市の機屋の構成を示す住居と事務所等を兼ねた住宅部分と織物工場に係る多くの建物が存在し、その時期も明治前期、大正14年、昭和の戦前、戦後と多岐にわたり、主屋をはじめとする建物群の構成は、染色・撚糸・製織といった織物生産のシステムをそのまま現している。
名称 |
構造 |
規模 |
年代 |
登録日 |
---|---|---|---|---|
後藤織物 主屋 | 木造2階建、鉄板葺 | 建築面積226平方メートル | 明治前期(大正14年増築) | 平成18年3月27日 |
後藤織物 奥座敷 | 木造平屋建、瓦葺 | 建築面積97平方メートル | 大正14年頃 | 平成18年3月27日 |
後藤織物 工場 | 木造平屋建、瓦葺及び鉄板葺、便所付 | 建築面積720平方メートル | 昭和23年、昭和24年頃増築 | 平成18年3月27日 |
後藤織物 東蔵 | 木造2階建、瓦葺 | 建築面積64平方メートル | 明治前期(大正15年頃引屋) | 平成18年3月27日 |
後藤織物 西蔵 | 木造平屋建、鉄板葺 | 建築面積64平方メートル | 昭和11年頃 | 平成18年3月27日 |
後藤織物 旧釜場 | 木造平屋建、瓦葺 | 建築面積56平方メートル | 昭和24年 | 平成18年3月27日 |
後藤織物 井戸屋形 | 木造、鉄板葺 | 建築面積8.5平方メートル | 昭和8年頃 | 平成18年3月27日 |
後藤織物 給水塔 | 鉄筋コンクリート造 | 建築面積5.7平方メートル | 昭和8年頃 | 平成18年3月27日 |
後藤織物 倉庫 | 木造平屋建、瓦葺 | 建築面積20平方メートル | 大正14年以前 | 平成18年3月27日 |
後藤織物 物置 | 木造平屋建、鉄板葺 | 建築面積55平方メートル | 大正14年頃 | 平成18年3月27日 |
後藤織物 表門及び板塀 | 門:木造瓦葺、板塀:鉄板葺 | 門:間口45メートル、板塀:延長23メートル | 大正14年頃 | 平成18年3月27日 |
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主屋 (PDF 224.4KB)
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奥座敷 (PDF 328.0KB)
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工場 (PDF 203.9KB)
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東蔵 (PDF 206.8KB)
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西蔵 (PDF 192.2KB)
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旧釜場 (PDF 206.3KB)
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井戸屋形 (PDF 185.5KB)
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給水塔 (PDF 161.7KB)
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倉庫 (PDF 173.0KB)
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物置 (PDF 228.0KB)
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表門、板塀 (PDF 243.5KB)
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