須藤家住宅
登録有形文化財
須藤家住宅(すとうけじゅうたく)
- 登録年月日
- 平成18年10月18日
- 区分
- 登録有形文化財 建造物
- 所在地
- 群馬県桐生市堤町1−14−32
- 登録物件
- 須藤家住宅 主屋1棟、奥座敷1棟、土蔵1棟
- 登録基準
- 国土の歴史的景観に寄与している。
公開情報
- 開館日時
- 毎月第一土曜日
午前10時~午後4時 最終入館時間:午後3時 - 駐車場
- 開館日に特設駐車場有り
須藤邸(登録有形文化財 須藤家住宅)連絡先
- 連絡先
-
テクスト桐生株式会社
郵便番号 376-0013
群馬県桐生市広沢町5丁目1602-1 - tsukuda@hoshikan.com
- 電話番号
- 0277-46-8636(テクスト桐生)
- テクスト桐生
営業時間 - 平日午前8時00分~午後5時00分
須藤家住宅について
須藤家住宅は、桐生市の旧市街地西方にある堤町に所在する。
建物は約800平方メートルの変形三角形の敷地の中に北から土蔵と蔵前を挟んで南側に連結する居室とサロン、東側に増築された玄関・応接の主屋部分と渡り廊下により西側に接続する奥座敷を配する。
須藤家住宅を建築した金善織物は明治末から昭和初期の桐生を代表する輸出織物工場であったが、昭和19年に操業を停止し創業家から離れた。
その後、昭和30年に荒廃した建物を洋風建築に造詣の深い須藤家が購入し、修理・改修を施し別宅として使用していた。
令和3年、歴史的建造物の保存活用を目指す民間企業が取得し、現在は企画・公開事業を行っている。
金善織物の歴史
金善織物会社は、明治9年に金居善太郎により創業され、明治35年金善織物工場に社名変更した。
明治36年の群馬県勧業年報には織機12台、職工15人と前記の創業年度が記されている。
明治43年には一早く電力による10馬力の力織機を導入し、職工50人となった。
大正4年には、職工145名、同7年には力織機200台を擁する工場へ発展した。これは、個人経営による桐生で最大規模の機屋であった。
製品の販路は輸出が主であり、羽二重から桐生銘仙へと当時の流行に合わせ生産を移行していった。また、金居家は機業以外の経済活動も株式投資等を行うなど積極的であった。
昭和7年4月発行の桐生市水道小誌に航空機より撮影された市内写真に金善織物の全景が認められる。道路を挟んで北西側に金居家の住宅・織物工場の事務所、一段低い北東側には、大規模な鋸屋根工場や高い煙突の立つ汽罐室などの施設が建設され、地下通路で事務所と連結されていた。 なお、本町五丁目に存在する金善ビルは同社により建設されたものである。
昭和16年には資本金5万円で金善織物有限会社となった。 輸出製品を主として業績を拡大していった金善織物であったが、政府は昭和16年に開戦した太平洋戦争を継続するため、昭和18年7月に戦争増強企業整備令を発令し、その織物製造業整備要項には織機の供出と工場及び付属物転用が含まれていた。これにより金善織物有限会社は昭和19年に解散し、金居家は堤町の住宅、本社社屋ほか一連の工場施設を手放すこととなった。現在、工場跡地は住宅地となっている。
※昭和19年2月までの桐生の転廃工場は総事業所4,699のうち4,553、織機12,941台のうち10,072台が供出された。(桐生市史別巻)
須藤家住宅 主屋(しゅおく)
須藤家住宅主屋は玄関・応接間(旧事務室)・サロン・居室からなる。
明治44年以前に切妻の工場として建築された現在のサロンは、金善織物の発展に合わせ織物会社の事務所兼応接として改修され南側には4本の円柱を持つ玄関が作られた。東側には金居家の住宅が設けられ、2階には来客用の個室が並んでいる。
南側に工場施設が整い大規模な織物会社へと発展する過程で、北側の小規模な工場と住宅は、金善織物の事務所及び主人の住宅として、白を基調とした近代的な建物となった。これは大正から昭和の初期にかけて増築・改修され現在の姿になったものと考えられる。
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構造形
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木造二階建、切妻造、桟瓦葺、下見板張
- 規模
- 桁行 27.26メートル
梁間 北側居室7.52メートル、南側サロン8.60メートル
1階面積240.87平方メートル、2階面積218.29平方メートル
合計459.16平方メートル
玄関 間口4.7メートル、奥行3.76メートル
応接間 3.76メートル四方、建築面積241平方メートル -
年代
- サロンの一部 明治44年以前
居室 明治末~大正
玄関 大正末
応接間 大正末~昭和初期 - その他
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須藤家取得後 全体の修繕及び改装(屋根ほか内・外装)
サロン部分の越屋根撤去、居室の間取り変更他
奥座敷(おくざしき)
奥座敷は西側の敷地に沿い主奥に対して斜めに建てられている。建物の南北が渡り廊下により主屋と連結されており、北側渡り廊下に接する土間は居間に改造され、南側はトイレ前の短い廊下で主屋と繋がる。1階は寝室を挟んで2カ所の浴室、洗面所他の水周りに、2階は北から8畳・6畳間の和室に改修されている。
かつては寄宿舎であったといわれており、金善織物の工場が現在地で操業していた明治時代後期に建てられたと考えられるが、年代は確定できない。
- 構造形式
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木造二階建、切妻造、桟瓦葺、下見板張
- 規模
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桁行14.10メートル、梁間3.76メートル
1階 77.86平方メートル 2階 52.60平方メートル
合計 130.46平方メートル - 年代
- 明治44年以降
- その他
- 須藤家取得後 間取り変更他改修
須藤家住宅 土蔵(どぞう)
土蔵は南側に蔵前を介して居間に接続する。
土蔵に関する資料は乏しく、床下調査等の痕跡からは移動された可能性もある。建築年代は、登記簿等を参考とし明治後期と考察される。
- 構造
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形式木造二階建、切妻造、瓦葺、漆喰塗
- 規模
- 桁行5.46メートル、 梁間3.64メートル
1階19.87平方メートル、 2階19.87平方メートル、合計39.74平方メートル - 年代
- 明治時代後期
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このページに関するお問い合わせ
教育委員会教育部 文化財保護課
〒376-8501 群馬県桐生市織姫町1番1号
電話:0277-46-1111 内線:622 ファクシミリ:0277-46-1109
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