法楽寺御正体

ページ番号1002087  更新日 平成28年1月24日

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写真:毘沙門天、毘沙門天、善膩師童子の木彫りの坐像

指定年月日
昭和54年8月10日
区分
桐生市指定重要文化財
所在地
桐生市広沢町六丁目825
所有者
法楽寺

詳細

木彫懸仏 三躯

毘沙門天(高さ22センチメートル)
吉祥天及び善膩師童子(高さ17センチメートル)
室町時代初期(南北朝)
日本には古くから鏡を神体とするならわしがあったが、平安期以降、本地垂迹思想が浸透することにより、日本の神の本地は仏であるとの考えが生まれ、鏡の中に仏像をあらわすようになった。平安期には、仏像を線刻したり、鏡像とするものが多いが、鎌倉期に入るとこれが立体的になり懸仏の成立をみるようになった。
図像は、毘沙門、吉祥、善膩師の三尊であるが、法楽寺では、それぞれ建津身命、玉依姫命、別雷命の本地仏としている。
三尊はいずれも懸仏の鏡板から転化した円形の挙身光背をつけるが、本来、光背、台座ともすべて一木からの高肉の彫成である。毘沙門天は像高22センチメートル、両手先を欠失しているため、持物は不明であるが、甲冑に身を固めた通常の神将型をとり、岩座に安座している。吉祥天は像高17センチメートル、花冠をいただき、唐衣をまとい、右手を垂れ、左手には宝珠をもって、岩座に倚座している。善膩師童子は像高17センチメートル、袍を着し、両手に梵篋をささげ、左膝を立てて岩座に蹲踞し、左右を振り仰いでいる。
一説に吉祥天を毘沙門天の妃とし、善膩師童子をその子に擬することから、三尊形式をとることは少なくないが、この図像は、それぞれ三つの本地の姿として表現されている。彫技、姿態は古様なものをとどめ、その制作時期を決定できないが、これらを懸仏の流れの中におき、しかもその変化形態であるという要素を加味したとき、南北朝を前後する時期の所産とみることができよう。

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