赤城型民家
桐生市指定重要文化財
赤城型民家(あかぎがたみんか)
- 指定年月日
- 平成14年4月1日
- 区分
- 市指定重要文化財
- 所在地
- 群馬県桐生市新里町鶴ヶ谷453-1 ぐんま昆虫の森内
- 指定物件
- 赤城型民家 主屋1棟 構造形式
- 構造形式
-
木造二階建、入母屋造、萱葺、下見板張
桁行 10間4尺5寸
梁間 6間
1階面積 195.33平方メートル
2階面積 151.67平方メートル面積合計 347.00平方メートル
- 年代
- 明治時代初期
平成13年現在地に移築・復元
ぐんま昆虫の森と赤城型民家
桐生市指定重要文化財赤城型民家は、群馬県桐生市新里町の中央部鶴ヶ谷地区を南東から北西へ赤城山の麓を斜めに横断する国道353号線の南側に開設された、昆虫をテーマとする体験型教育施設「ぐんま昆虫の森」の北端に存在する。
養蚕農家を再現した里山体験施設「かやぶき民家」として、養蚕や草木染などのほか四季折々の里山の行事が催されている。
※ぐんま昆虫の森は有料施設です。
一般(個人)410円、大学生・高校生(個人)200円、中学生以下(個人)無料。
赤城型民家とは
赤城型民家とは、群馬県内の赤城山南麓に多く分布するため名付けられた養蚕農家の一形式で、平屋の屋根裏を蚕室として利用するため、屋根の庇の正面中央を大きく切り欠き、採光と換気のための間口とし、1階に下屋を設けたものである。類例として榛名山麓に多く見られる屋根の庇の正面中央を大きく切り欠き上部にせり出すように庇をつけた榛名型民家もある。棟の上に設けられた換気用の高窓(ヤグラ。ウダツとも呼ばれる)も養蚕農家の特徴である。
赤城型民家 建物の構成
敷地内の東面・北面には赤城おろしを和らげる防風林を設け、南面の生垣中央に茅葺の表門がある。周囲には養蚕用の桑畑等がある。
表門をくぐり敷地内に入ると広い庭があり、南面する建物入口の板戸を開けると、作業場でもあったタタキの土間となっている。
東側の中央北寄りの壁面から方形にウマヤが設けられ、東壁面の板戸は牛馬の出入りや農作物の搬入搬出にも使われた。北東の隅はオコンヤマと呼ばれる暗く涼しい場所であり、味噌・醤油、漬け物樽や米俵など、保存食の収蔵場所としている。
西側手前のアガリハナから板の間に上がると北側の勝手までが板の間となっており、板の間東側の一部をコの字に切り欠き囲炉裏と二口の竈が据えられている。北側の勝手には汁器や調理用具等を納めたタナがある。ナガシは北側の土間上に壁面に沿って取り付けられている。 ナガシとオコンヤマの間には勝手口があり建物背面に出る。
板の間の西側は、畳敷き四間の北西に納戸のつく変形「田」の字型の間取りとなっている。田の字の東側手前は「でい」と呼ぶ応接で西側は「おくり」と呼ぶ客間で床の間がある。「でい」の北側は座敷と呼ぶ茶の間で西側の板戸の上には神棚が祀られている。その西側は、「へや」と呼ばれ北側に接する「納戸」とともに家族の寝室とされた。
居室の西・南側には縁が回る。西側奥の縁は「畳入れ」として幅広く造られ、養蚕期のほか、夏季の避暑のため上げられた畳が収納される。
入口西側の取り外し式の階段から2階へ上がる。
屋根裏の2階は一室の蚕室で、東側の大部分は板の間、西側の一部は一段高く通気性の高い竹で葺かれている。 赤城型民家の特徴である南面の切り欠き部分の雨戸を開けると、障子越しに日差しが差し込む。大きな間口は棟に設けられた高窓とともに養蚕の温度管理に役立つ設備となっている。 寄棟の茅葺き屋根は切り欠かれた南面及び東西面が浅く、北面は突き出された下屋まで萱が葺かれ深く造られている。 建物の内部は、養蚕農家の生活が再現され、2階には養蚕用具類が展示され季節に合わせて様々な里山体験が出来る。
赤城型民家の歴史
赤城型民家としてぐんま昆虫の森へ移築された建物は、明治初期に現在の前橋市富田町に養蚕農家として建築された柿沼家の建物である。
関係者の聞き取りによれば、柿沼家住宅は、明治3年頃に着工し、上棟に1週間、作業日は吉日に限り、明治7年頃の竣工までおよそ5年を要した。施工は越後の大工と伝えられる。 富田町の南東に位置する現在の荒口町の山から、柿沼家の南方600メートルほどに存在していた吉田家と共に材木を調達し、同時期に建築した。吉田家の建物は解体されており、大工も異なるが赤城型民家であったと伝えられる。
桐生市指定重要文化財 赤城型民家
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