浄運寺本堂

ページ番号1002059  更新日 平成28年1月24日

印刷大きな文字で印刷

写真:本堂の外観

指定年月日
平成11年8月10日
区分
桐生市指定重要文化財
所在地
桐生市本町六丁目398-1
所有者
浄運寺
構造
寄棟造平入り 桟瓦茸唐破風付
建築年代
宝暦3年(1753)

浄運寺は旧桐生新町の南端に位置し、立地・信仰・住民生活等、桐生新町の発展と係わりが極めて強い寺院といえる。
当寺は天文年中に玉念が庵室を持ったことに始まり、永禄元年(1558)には哀愍寺が創建された。天正年中に新宿に移転し、二世聞岌の代に浄運寺と寺名を改めた。その後慶長10年(1605)に現在地に移転した。
桐生新町の町立ては、当初現在の本町一丁目から四丁目まで成立していたが、その後下瀞掘(新川)までを開拓することにより、現在の本町六丁目まで町並みを延伸させた。このことを期に浄運寺を新宿から現在地に移転させ、桐生新町の南の要としたのである。
本堂は比較的大きな六室構成の方丈系本堂である。正面一間半、両側面及び背面に一間分の広縁を回らす。正面外側一間通り及び内陣裏部分のみが板敷きで他は畳敷きとなっている。内外陣は現在は開放されているが、以前は中敷居があり建具がはめ込まれていたことが内外陣境の柱の痕跡よりわかる。位牌段脇の置札に与ると、宝暦3年(1753)の上棟である。屋根は当初茅茸であり、天保6年(1835)と明治19年(1986)に茸替えの記録が残っている。明治期の葺き替えの際、茅葺から現在の桟瓦茸に改められた。
部分ごとに建立、改築時期を見ると、まず虹梁絵様は、宝暦年間の建立当初のものと慶応年間頃の増改築のものに分けられる。背面張り出しの閉山堂仏壇部のまぐさ絵様は、増改築時のものと考えられる。ほかは宝暦建立時のものであろう。このことから背面張り出し部の開山堂は、この時期の後補である可能性が強い。格天井の絵は慶応2年(1866)の銘があり、欄間には宝暦3年(1753)及び明治13年(1880)の刻銘がある。本堂は慶応
2年前後に最も大きな増改築が行われ、さらに明治に欄間等の改修、屋根は茅葺から桟瓦茸へ葺き替えを行っている。これらの改修改築時における墨書・刻銘には本町四、五、六丁目を中心とした人々の名前が記されており、寄進を通した本町住民と寺院の結びつきを知ることが出来る。
浄運寺本堂は、建立から改修・改築の推移が墨書や刻銘から判明しており、更に桐生新町の形成と発展に重要な係わりをもった歴史がある。

ご意見をお聞かせください

質問:このページの内容は役に立ちましたか?
質問:このページの内容はわかりやすかったですか?
質問:このページは見つけやすかったですか?

このページに関するお問い合わせ

教育委員会教育部 文化財保護課
〒376-0041 群馬県桐生市織姫町1番1号
電話:0277-46-1111 内線:622 ファクシミリ:0277-46-1109
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。