千手寺石幢

ページ番号1002068  更新日 令和7年6月13日

印刷大きな文字で印刷

写真左から専修寺入り口、千手寺石幢の遠景、移動前の石幢・解体前の千手寺の建物

指定文化財について

名称・員数
千手寺石幢(せんじゅじせきどう)  1基
指定年月日
昭和54年8月10日
区分
桐生市指定重要文化財(石造物)
所在地

群馬県桐生市川内町一丁目332-3
令和7年(2025)3月移設

概要

高さ:164センチメートル、材質:安山岩製

年代
天文17年(1548)

石幢の写真と刻まれた文字。各部の名称

千手寺石幢は、群馬県桐生市川内町を南下し渡良瀬川に合流する小倉川の左岸、千手寺跡地の東側墓所に存在する。
構造は安山岩の石材を積み上げた重制石幢である。 相輪部は黒灰色で宝珠・請花・宝輪が一石で造られ、宝珠の乗る請花には反花が線刻され宝輪の乗る請花にも蓮弁が線刻されている。屋蓋は灰白色で一部に欠落が見られる。龕部は黒灰色の七角柱で、正面に阿弥陀仏を配し、六地蔵が取り囲むように彫りだされているが、摩耗が進み尊顔・持物の判別が困難な状態となっている。中台は赤灰色で連弁が線刻されている。 基礎・幢身ともに黒灰色の円形で、基礎上に上下二段の幢身を積み上げる。上段には以下の銘文が11行にわたり陰刻されている。

「奉大乗六部 □搭供養彫 六道能化地蔵 薩捶尊容 現世安穏後 生善處□ 天文拾七年 戊申八月 岸十七回□ 西小倉村旦 那□口座」
訳文
大乗仏教の経典六部経(法華経)を奉り供養する。地蔵菩薩は六道の辻で死者を導き、衆生を救済する。仏に帰依し、現世を安らかに来世では良き所に転生する。 天文17年(1548)戊申(つちのえさる)8月彼岸の十七回忌に西小倉の人たちが造立した。

本石幢は各部の欠落もなく、ほぼ完全な状態で保存されており貴重である。

注:地蔵菩薩の信仰は、奈良時代に経典とともに伝来したもので、六地蔵の信仰は平安時代中頃に始まったと考えられる。輪廻の六道(天道・人間道・阿修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)の入り口で衆生を導く地蔵菩薩の化身である。鎌倉時代には阿弥陀信仰に結びつき、道祖神信仰とも集合し広く衆生に救済をもたらす仏として祀られるようになった。また、子どもたちを守るお地蔵様としても親しまれている。

地図

ご意見をお聞かせください

質問:このページの内容は役に立ちましたか?
質問:このページの内容はわかりやすかったですか?
質問:このページは見つけやすかったですか?

このページに関するお問い合わせ

教育委員会教育部 文化財保護課
〒376-0043 群馬県桐生市小曾根町3番30号
電話:文化財保護係 0277-46-6467
   埋蔵文化財係 0277-46-6468
ファクシミリ:0277-46-1109
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。