広間地の石造薬師如来と観音菩薩
広間地の石造薬師如来と観音菩薩は主要道伊勢崎大間々線を東へ250メートルほど入った耕作地に囲まれた墓地内に存在し、地元では古くから信仰の対象となっていた。
室町時代(1336~1573年)の初期に現在地から北へ約700メートル付近に建立された寺院の別院が現在地に設けられ、薬師如来を安置したと伝えられている。
現在は、所有者により建てられた観音堂内に地蔵菩薩像とともに祀られている。
- 名称
- 広間地の石像薬師如来と観音菩薩
(ひろまちのせきぞうやくしにょらいとかんのんぼさつ) - 指定年月日
- 昭和55年4月11日
- 区分
- 市指定重要文化財
- 所在地
- 桐生市新里町新川203


仏像が野ざらしにならないように覆屋(観音堂)が建てられています。

向かって左に観音菩薩、中央に文化財未指定の地蔵菩薩、右に薬師如来が祀られています。
薬師如来
- 名称
-
薬師如来
- 材質
- 凝灰岩製
- 大きさ
- 総高59センチメートル、像高40センチメートル
幅38センチメートル、奥行き16センチメートル
舟形光背(ふながたこうはい)に半肉彫りで蓮華座(れんげざ)に立つ薬師如来を一石にて刻みだす。
頬から顎にかけて、豊満でやや下膨れ状の顔様を呈し、納衣(のうえ)をまとう。破損のため判別が容易でないが左手に薬壺(やっこ)もしくは宝珠(ほうじゅ)を持物とする。右手は胸の前におかれている。体軀は頭部及び上半身に比べ下半身が短い。
石像は、風化や摩耗が進み突基部の欠けや線刻が薄れる状況が見られる。なんらかの衝撃によるものか右肩から左肘へかけて斜めに割れ、一部に欠落が見られる。
刻字は認められない。
薬師如来は7世紀頃から信仰され、大医王仏(だいおういぶつ)ともよばれる現世利益をもたらす医薬の仏として盛んに造像されるようになった。
十二神将を眷族(けんぞく)とし、薬師三尊(やくしさんそん)の形式では日光、月光の両菩薩を脇待とする。
観音菩薩
- 名称
- 観音菩薩
- 材質
- 凝灰岩製
- 大きさ
- 総高83.5センチメートル、像高58センチメートル
幅50センチメートル、奥行き29センチメートル
舟形光背と蓮華座に直立した観音菩薩を一石にて刻みだす。
顔容は伏目でやや面長の卵型で品位が有り、頭部は宝髻(ほうはつ)を型どり、納衣と天衣(てんね)をまとい、裳(も)をつける。左手には水甁(すいびょう)をもち、右手は掌を立て胸の前に置いている。 体軀はやや丸型で胸を張り、頭部に比べ胴部が短い。薬師如来と同様風化が進んでいる。刻字は認められない。
観音菩薩が世を救済するため様々な形態を生ずることを普門示現(ふもんじげん)という。この思想から、六観音・七観音・十五観音・三十三観音など様々な別身を派生している。独尊として祀られる聖観音(しょうかんのん)は、特に現世利益をもたらすものとする傾向が強い。ほかに千手観音・十一面観音などの形態を持つ像がある。
阿弥陀三尊の形式では阿弥陀如来の左脇侍(わきじ)として配される。
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