関口文治郎の半鐘

ページ番号1002041  更新日 令和7年12月15日

印刷大きな文字で印刷

写真左から沢入観音堂遠景、新観音橋から見上げる見上げる観音堂の正面、観音堂の建物側面、関口文治郎の半鐘が安置される観音堂の内部。

指定文化財について

名称及び員数
関口文治郎の半鐘(せきぐちぶんじろうのはんしょう)  1口
区分
桐生市指定重要文化財(美術工芸品)
指定年月日
平成17年3月31日
所在地
群馬県桐生市 黒保根町上田沢沢入地内
管理者
沢入観音堂護持世話人会
公開情報
通常非公開(一般公開は行っておりません)
その他
駐車場・トイレ:無し

関口文治郎が観音堂に奉納した半鐘。半鐘の片面2面に施主である文治郎についての銘、半鐘の製作者、佐野天明の鋳物師、丸山善太郎の銘が刻まれている。反対側の片方の2面に名は刻まれていない。

関口文治郎の半鐘は、関口文治郎有信が師匠石原吟八郎に従い武州(現在の埼玉県)妻沼の聖天山歓喜院の社殿再建に携わった際、本殿が完成した宝暦2年(1752)に出生地の沢入観音堂へ寄進した半鐘である。
第二次大戦の難を逃れ、一時期上田沢地区の火の見櫓に取り付けられていたが、火の見櫓が役割を終えた後、観音堂に戻され保存されている。
関口文治郎は、享保16年(1731)上田沢村沢入(かみたざわむらさわいり)に生まれ、隣村花輪村の石原吟八郎に師事し彫物師となったが、生来の素質もあってか、その上達は師を驚かすものがあった。歓喜院工事で師匠の片腕となり、本殿完成後は幣殿・拝殿の彫刻も手掛けている。
その後、秩父の三峯神社、伊那の熱田神社、桐生の天満宮、黒保根の栗生神社等多くの社寺に名作を残した。文化3年に榛名神社を最後の仕事として文化4年(1807)に76歳で没した。

半鐘とは、小型の釣鐘のことである。
寺院の鐘楼に釣り下げられる比較的大型のものを梵鐘、小型のものを半鐘、さらに小型のものを喚鐘と呼ぶ。もとは寺院の法要の合図や時報に使われていたが、江戸時代には火の見櫓に吊り下げられ火災など災害発生時の警報や消防団の招集に使用されるようになり、昭和の中頃まで使用されていた。

桐生市指定重要文化財 関口文治郎の半鐘 (沢入観音堂)

地図

PDF形式のファイルを御利用になるには、「Adobe(R) Reader(R)」が必要です。お持ちでない方は、Adobeのサイトからダウンロード(無償)してください。Adobeのサイトへ新しいウィンドウでリンクします。

ご意見をお聞かせください

質問:このページの内容は役に立ちましたか?
質問:このページの内容はわかりやすかったですか?
質問:このページは見つけやすかったですか?

このページに関するお問い合わせ

教育委員会教育部 文化財保護課
〒376-0043 群馬県桐生市小曾根町3番30号
電話:文化財保護係 0277-46-6467
   埋蔵文化財係 0277-46-6468
ファクシミリ:0277-46-1109
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。